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'09 楽町楽家 詳細 主なイベント日程 イベント内容
楽町楽家’09-REVIEW・対談

 以下は、今年の「楽町楽家」の中で、2009年5月20日(水)堺町画廊にて行なわれた対談の一部です。山極先生と松井さんは、一昨年の「楽町楽家」のテレビ取材で対談されましたが、その内容が大変興味深く面白かったので、今回は、もっと長時間に亘り、じっくりお話いただきました。

■山極寿一 
京都大学大学院理学研究科教授、理学博士。
1978年からアフリカ各地で、ゴリラの野外研究をおこなっている。
■松井薫
一級建築士 「住まいの工房」主宰

山極 町家好きの方は「なんでゴリラやねん」、ゴリラの好きな方は「なんで町家やねん」ということなんだと思います。二つの全く違う種類の人たちを結びつけてみようというのがこの会の趣旨でございます。松井さんがさっきおっしゃったように今年は国際ゴリラ年です。昨年の12月3日にイタリアのボン条約締約国会議、ボン条約というのは、国連の中にある会議の名前で、国境を越えていく動物たちのことを保護し、考える会議です。去年はカエル年。「なんでカエルが国境を越えるんやね」と思われるかもしれませんけれども、越えるんですね。実際、一種類のカエルが国境を越えて分布しているところがあるんです。ゴリラはまさにそうで、マウンテンゴリラはウガンダ、ルワンダ、コンゴという3つの国境に接している。西では、カメルーン、ガボン、中央アフリカ。非常に多くの国々が国境を接しているところに住んでいる。だからいろんな国々が一緒になってゴリラの保護を考えないとだめなんだよ、ということをボン条約を通じて考える。国連、IUCN自然を守るための国際条約、それから世界動物園水族館協会、この三つが国際ゴリラ年を宣言していることになる。まだ始まったばかりで、このゴリラにちなんで、ゴリラと我々人間のことを考えましょう、という機会にできればなあ、と思っています。京都の人は町家のことをたぶんわかっていると思うんですが、町家というものとゴリラというものがとても密接に結びついているという話を今日は……。

松井 できたらいいなあと(笑)。

山極 最初に町家はこれ(この日の会場となった場所を指して)ですよね。これはあとで松井さんに説明していただいてもいいのですけれども、ゴリラについてはイメージがまだわかない町家の方々がいらっしゃると思うので、10分ぐらいビデオを見ていただいて、その印象を通じて、私と松井さんのお話を聞いていただきたい、と思います。しばらく画面をご覧ください。実は、だいぶ前に放映したNHKの番組なんですけれども、私が現在調査をしているアフリカのガボンという国であまり慣れてないゴリラを実際人づけして、その過程でジャングルに入っていった、というもの。ゴリラの生息域がでてきますので。

(皆さんで番組視聴)

山極 何から何まで町家とそっくりだということを今日はお話ししたい。私が町家に住み始めて10年ほどなんですけれども、最初すごくアフリカのジャングルに似てると思ったんですね。異論もあると思いますけれども。その一つはここを見ておわかりのように天井が高いですね。ここは走り庭というんですよね。

松井 そうですね。

山極 上の方に天井があって、さっき松井さんがいろんな変なものたちと共存しているとおっしゃいましたが、多分イタチやらねずみやらいろんなものが動き、走るんだと思うんですね。パラパラ何かが落ちてくるわけです。ここはたたきといって昔は土間だったわけですね。ジャングルで基本的に動物が住んでいるのは地上か、上なんです。何故かというと、食物は木の上か下にしかないからなんですね。ビデオの中で説明してましたけれども、電柱みたいな木がポーッと立っていて、間に何もないんですね。上の方には葉っぱと、動物達の大好きなフルーツがなっている。このフルーツや葉っぱが落ちて来る。これが地上にたまるわけです。地上にたまって発酵して、それを虫やら哺乳動物やらが食べる。上の方では鳥や虫やサルたちが食べ物を食べる。町家と一緒なんですね。間に何もないんですね。何もないというと画廊の主人に怒られますけれども(笑)。ないんですね。地面にある。実は、哺乳動物というのは基本的に地上性なんです。地面が彼らの感知する世界のキーポイント。匂いが全部たまるわけです。犬でも猫でもいろんな動物たちは、地上を歩くとき、鼻を地面にすりつける。そこにいろんな動物の痕跡やら食べ物の痕跡やらが残っている。それを感じながら世界を感じて暮らしているわけです。ところが木の上に登る連中というのは匂いではなく、今度は目なんです。鳥は目がきくし、サルも目がきく。木の上の世界というのは風が舞っていて、においが定着してない。だから嗅覚で世界をかぎわけようとしても無理なんです。地面のようなキャンバスがないからです。地面は動物にとってキャンバス。木の上は三次元の世界、映画の世界みたいなものです。それを目で見ないといけない。だからサルや鳥たちは上の方で暮らしていてときたま下に降りてくると、地面を嗅ぎわけて暮らしている動物たちと目で対抗する。

松井 さっき見せていただいて、まず思ったのは、先生がおっしゃったように高い木がビュッ立っている。そのものやないですか、これね。高い木が立っていて、上の方に寝る場所があったり、風が吹いたりして木が実はこういう揺れ方をするんですね。これを利用しているんですよ、町家の場合も。難しく言うと曲げモーメント、というのですけれどもね。曲げに対して応力を利用しているというところがものすごく特徴なんですね。今、造ってもいいといわれている木造は軸力という、この(縦の)方向の力しか認めていない。曲げに対してはゼロなんですけれども、この時代はそれと同じくらいの力がある曲げという力も皆使い切ろうとしていたみたいなところがありまして、下から上までずぼっと一本の高い木を使ってます。そして裏側に細い貫(ぬき)という材料がはいっているんですけれども、それによって、風が吹いたり、場合によっては地震で揺れたり、ということがあるんですけれども、そのときに曲げのしなりでもたそうという考え方があるので、まず構造的にそうやなと思った。それから、あの絵を見たらまったく天空からここも明かりが降りてくるんですよね。ジャングルも同じですよね。

山極 そうです、はい。

松井 それで、下がすけてるという考え方で造ってある。これもやっぱり基本なんやないかなあ、と思うんですね。

山極 ジャングルはドームみたいになっていて、樹冠の方に葉っぱがびっしりおおわれてますから、太陽光の1%から2%ぐらいしか地面にとどかない。地面の方はひやっとして涼しい。風がすっと通りますから、意外にジャングルの中は涼しくて、上の方に行くにしたがって乾燥してくるんですね。

松井 ああ、なるほど。

山極 さっき松井さんに言われて気が付いたが、昔は町家は地面とくっついてなかった。

松井 はい、そうですね。

山極 動くんですよね。

松井 今もそうなんですね。

山極 今もですか。実はジャングルの木というのはほとんど根がない。何故根がないかと言えば、雨がすごく降る。根を地面にずっと下ろしていても、養分が雨によって流されてしまうので、地表近くでそういった養分を吸収するような根にしとかなければならない。根はもちろんありますけれども、ほとんど木を支える役に立ってない。さっき言ったみたいにジャングルの木というのは、上の方で枝と葉っぱで互いにからみあって支えている。何かの拍子で風がすごくたくさん吹いて一本の木が倒れると、共倒れになってすごく大きな穴がボーンとあく。私はそれが中庭みたいだと思っている。町家は必ず走り庭と家の真ん中に小さな庭がありますよね。そこに日光がこうサーッとさすんです。驚いたことに風が上の方からスーッとはいってくる。またスーッとぬけていく。こういう垂直の方向の風がそこに生じる。これも、ジャングルではギャップというんですけれどもね。樹冠に穴があいて、太陽に光がさして、そこは全く別世界。ジャングルの動物たちは普段は暗いところに暮らしているから、そういう光の輝くところに行くとみんなでゆったりして昼寝をしたくなる。そういう場所なんです。私はこれはいわゆるジャングルの中庭だなと思う。

松井 まったく一緒でしょうね。町家の場合は、今の中庭とか奥の庭など庭がある。空気の流れでいうと実はさきほどおっしゃたように、煙突効果というんですけれども、この下のところと2階の上、大屋根の上とでは同じ風が吹いても早さが違うんですね。ヨットに乗ってられる方はよくご存じやと思うんですけれども、上の方が早い、早く流れる。上の方が早いということは気圧が低い。ちょっと薄くなるのでひっぱりあげる。下の方の割と涼しい風が動く、ということがあるんですね。上にあげられる。そういう作用が実はありまして、すでによくわかっている現象ですね。だからまったく同じことやと思うんです。それがおそらくは垂直みたいな意識をどこかに植え付けていくというところがあるんやないか、と思うんですね。音楽なんかやるでしょ? 特にインド音楽なんか、聞いてたらそれだけでどこかへ行きそうな音楽がありますやん。20分くらい、ダーッとやってはんのね。中庭の近くで聞いていると上に上がっていく感じがするんですよ。ほんまに自分がフーッといきそうなくらい、気分的にすごく高陽します。そういうものが実は上にある。水平の細長い奥へいく、この方向しかなかなか僕ら見ませんけれども、実際に住んでみると、上の光があったり、上に対しての意識があったりということで、抜けているところがたくさんあるんですよ。他のところでいくとたとえば床の間とかね。そういうところも含めて上に対して意識が抜けてる。自分らだけで生活しているのではなしに、上の方で何かもっと大きなものがあって、それが常に全体を覆っているというか、言い方によったら、「誰かがちゃんと見てるよ」というようなイメージというのをきっと昔の人は持っていたんやと思うんです。

山極 音という話でいえば、ジャングルというのはものすごくいろんな音に満ちているんですね。それぞれの動物、とにかく何百種類という動物が同じジャングルの中に一緒に住んでいますから、いろんな声が聞こえる。確かに音によっては上の方に上がっていくように感じられる音があります。それぞれの動物は彼らの生活に応じていろんな音を聞き分けているわけですけれども、たとえばゾウの声というのは人間の聞こえる範囲外の音を出すんですね。彼らはどこで聞いているかというと足の裏で聞いている。地面に低音がズーッと響いて、低い音は波長が大きいですから、湿った、あるいは暗いところをズーッと遠くまで伝わるんですね。いろんな障害物があっても波長が大きければ抜けてゆくわけです。一方、波長の高い音、キンキン声というのは、はねかえりが早いですから、いろんな物にぶつかって遠くには届きません。その代わりそれが立ちのぼっていくわけですね、キンキンに。それはどういう声かというと、カエルの声。カエルの声は下から上までスーッと上がっていく。逆に上から下におりてくるのは蝉の声。蝉の声は上の方で鳴いてるのですが、ズーッと下におりてくるという感じで、上と下とでいろんな動物達が鳴きかわしているというのがよくわかります。

松井 重層的に生活があって、なにか作られているという感じですかね、生きてるものたちが。

山極 たぶん町家も昔はこういう窓のところに鳥が巣を作ったり、イタチなんかがひょいと顔を出したり、ということがあったんではないのかなあ、と思います。ここも向こう側に庭があって、いろんな野鳥も飛んで来るそうなんですけれども、動物に好かれる場所というのは、実はたくさん隠れ家があるんですね。いろんな動物同士が姿をいつも見合ってないような、それぞれの動物が好む場所というのがあるんですね。町家にもそういうところがいっぱいあるんではないのかなという気がします。動物にとっても住みやすい。だから人間にとっても住みやすいんだなというふうに勝手に想像しているんですけれども。でもよく町家って、夏暑く、冬寒いというやないですか。それは間違いなんですか、ほんとなんですか。

松井 そりゃ、夏は暑く、冬は寒いんでしょ。それはそうですが、たぶんジャングルも一緒なのでしょうけれども、何にもなしのカンカン照りやったらたまらんわけですよね。雨が降ったときは雨がしのげる方がいい。すごい風が吹いたときは、ものすごい風の中にじっといるよりは、少し和らげてくれる中に居た方がいい。たぶんそういう形で自分たちの生活を守る形で何か囲いを造ってきたというのが家の始めだろうと思うんです。それで少ししのげるというところでしょうね。

山極 自然のシェルターですね。

松井 そうですね。

山極 僕もそう感じるんですが、サッシの完全に密閉した家に住んでいると、なにか下界とすごい遮断された気がするんですよね。昔、公務員宿舎に住んでいたときに、冬になるとすごい露が壁にびっしりとついて、密閉しているなあと思ったんですが、町家に住んでいると、全然そういうことがない。つまり外とつながっているわけですね。必ず外気の流れている感じがしていて、暑くて寒いけれども、それは嫌な暑さや嫌な寒さではないのかなあ。

松井 そうですね。

山極 ジャングルはみなさん暑いところだと思っているかもしれませんが、寒いところでもあるんですね。例えば熱帯というのは、このガボンについていえば、1年12ヶ月の内の約9ヶ月が雨季です。湿度を計ってみると、年柄年中乾季でも100%、ものすごい湿度です。湿気が感じられるような森林の外にいるとものすごい湿気なんです。森林の中に入ると意外にさばさば乾いているんですね。つまり森のシェルターが全部吸い取ってくれているわけです。日本には梅雨というのがあって、朝から晩まで、あるいは時に数日間ずっと雨とかあります。だけど、むこうの雨季はそのようなことは全然ない。雨季でももうすごく晴れてて、雨季晴れというんですけれども、すごく天気がいい日というのが実は雨なんですね。日本でも夏になると、最近あまりないんですけれども、夕立っていうのがありましたよね。あれは天気のいい日に突然入道雲がもくもくとわいて、ドーンと夕立がくる。またからっとすぐあがるわけです。あれがアフリカのジャングルにおける雨季の雨なんです。だから午前中すごく暑くて、日が照っていて、森の中に逃げ込んでいて、あれっと気が付いたら、途端に空がかきくもって、風がビュービュー吹いて、木の葉が舞って、これはやばいな、と思っているとそのうちドーンと雨が降るんですね。でも1時間くらいでからっと上がってしまう。そのくらい潔い雨なんですね。そういうものにアフリカのジャングルというのは適していて、風とか雨とかすごい日差しだとかいうものを全部避けてくれるのが熱帯雨林の構造なんじゃないかな。

松井 興味深い話なんですが、町家でも実はここの中と外の庇のところとで温度、湿度を2年間ずっと測ったんですよね。そうしますと外が100%、ほとんど梅雨のときにほぼ100%のときでも、だいたい75%ぐらい。冬の30%から20%にまでなるときでも、65から70%くらいあるんですよ、湿度が。

山極
 ああ、そうですか。

松井 温度は常に中が暑いです、実は。そういうことがわかりました。夏は日陰と中とでいうと、中の方が囲われてるのと人間が居たり、熱源があったりするからでしょうけれども、少しだけ中の方が暑い。冬は少しでも暖めようとしますから特にそうですけれども、冬はまず中の方が暖かいですよね。夏も実は中の方が暑いのがわかりまして。でもなんで過ごせるかというと、湿度やないかと思うんですよね。だいたい70〜75%ぐらい。土の壁とか木だとか紙だとか、そういうもので調節するんですね。梅雨のころ、紙なんか、障子がタランとなりますからね、すごい水を含んで。それがまたピンとなったりしよるわけで。この柱一本分あるでしょ、これでだいたいビール瓶一本分の水分をやりとりすると言われていますから、相当なものなんですよ。それで中の内部環境を居やすくしているのではないか。今のジャングルが割とさわやかにいられるのとは似たような感じなのかな。

山極 みんな呼吸しているわけですね。

松井 そうです。

山極 私もね、今アフリカはどこの国でもヨーロッパの影響が強いから、鉄筋の家を建てたがる。もともと彼らの家というのは、泥の壁で屋根もヤシの葉っぱやバナナの葉っぱで葺いて、植物でだいたいできていたものなんです。ところが工法が簡単でお金もつきやすいということで、鉄筋で家を建てる。そうするとものすごく熱がこもるんですよ。特に夜は暑い。夜は本当に熱がこもって逃げないんですよね。ところが、植物でできた家というのは夕方になるとスーと暑さが逃げる。まさに呼吸をしてるという感じがします。やっぱり人間は変化に強い。ずっと同じような環境にいるとアホになる。私も長期入院したことがあるんだけれども、病院というのは温度を一定にしている。そうするとだんだん頭がぼけてくるんですわ。やっぱり朝、昼、晩と違う温度や湿度の外気にあたってないとなんか体が活性化されない。さっき松井さんが五感で感じて生きているということをおっしゃっていましたが、まさにそうで、外でつながっていて、なんていうのかな、自然というのは素晴らしいものだと思うんですけれども、朝と晩で温度も湿度も変わるんですよね。しかも光もかわる。その光というのは、人間にいろんなことをもたらしてくれる。朝、気分がいいのは朝の光と夜中の光が違うからですね。昼間、たとえば雨の日と光がサンサンと降り注ぐような暑い日と全然気分が違うのは、人間もゴリラも同じようにそういう一日の光や温度、それから湿度の違いに心身を揺さぶられるようにできているからだと思うんですよね。それを感じないで生きているのはもったいない気がするんですよね。せっかくそういうものを感じられるように身体を作ってくれたのに。それはこの町家の方が感じられるかもしれない。つまり、嫌な暑さ、嫌な寒さではないかもしれない、という気がします。

松井 変化がないと自然のリズムの中で、たぶん40万年とかずっと来たわけですから、その変化がないと逆に負荷がかかってしまうことになるんでしょうね。

山極 そうでしょうね。

松井 そんな気がしますね。ちょっとゴリラの話に戻していいですか。

山極
 はい、どうぞ。

松井 この前見せてもらったテレビでね、年老いたシルバーバックと何年かで再会。

山極 26年。

松井 26年ぶりに再会してじっと見つめあうという感動的なシーンがありましたよね。なんて名前やったか忘れましたけど。

山極
 タイタス。

松井 記憶を持ってるということなんですかね。

山極 僕がものすごく感激したのは、それがわかったんです。つまりタイタスというゴリラは人間のように思い出すのではない。思い出すんですが、彼らは言葉を持ってません。だから違う形で思い出したんです。僕はそれが彼の様子を見てわかった。それがわかったからすごい感動したんです。どういうことかというと、私たちがたとえば26年ぶりに昔の友達と会ったとします。中学、高校生ぐらいに親しかった友達とばったり会ってその空白を埋めようとしたときに、彼の、あるいは彼女の昔の顔を思い出そうとするわけですね。それが頭の中に浮かんできて、そして今の彼や彼女の顔と重なったときに「あーそうなんだ」と思うわけですね。そのころの様子が思い浮かんでくる。それは結構言葉で補強しているわけです。イメージをね。だけどタイタスというゴリラはどういうふうに思い出したかというと、2日会ったんですけれども、最初の日はなんかおかしいなと僕の方を見ていた。最初の日はよくわからない様子でした。でも2日目に会ったときは思い出した。どういうことかというと、顔が子供に戻っちゃった。一瞬の内に戻ります、これは。最初本当に松井さんがヨボヨボと言ってたけれども、本当にヨボヨボだったんです。もう爺になったんだなあ、俺も爺になったなあと思いながら見ていた。僕は知ってますからね。でも彼は26年全然会わなかったのに突然会った訳じゃないですか。思い出さないわけがない。それが僕を思い出したのではなく、自分が子供に帰っちゃった。顔が子供になって、あの頃やってた、こういうふうに手を頭の後ろに乗せて仰向けに寝るという行動をすぐとって。大人のゴリラって滅多に遊ばないんですけれども、子供の遊びを始めた。それを見たときにこれがゴリラにとって思い出すってことなんだなあ、と思えたんですね。確信しました、これは。思い出したんです。僕自身を通して自分を思い出した。自分が昔に戻った。ゴリラも他の動物もそうなのかもしれないけれども、彼らにとって思い出すということは、彼らは言葉を持っていないから、昔の私と今の私というふうに区別して考えることができない。だから僕の中に昔の僕を見たわけです。そうしたら自分も昔に戻ったんです。僕らもそういうことがあると思うんですよ。あると思うがそんなに簡単にできません。いくつかの壁を乗り越えながら昔に戻るわけでしょ、僕らの場合は。彼の場合は乗り越えるものがなにもない。そのままストーンと昔に戻った。それがわかったので、いやあそうだったんだと思った。僕は初めてです。人間以外の動物が思い出すという現象を見たのは。

松井 あれのあとですか、小さいゴリラが「遊ぼ」と来たのは。

山極 あれのあとです。

松井 それはなにか、タイタスが周りのみんなに「この人はどうもないよ」みたいなことを言うたんですかね。

山極 子供は大きなリーダーのオスの行動をみならって、すぐ反応しますからね。リーダーのオスの行動が変われば自分たちも変わって。僕らもそうじゃないですか。たとえばお父さんについて歩いていく子供が、お父さんが親しげに話す人に対しては親しいと思うし、なにか警戒する人には警戒するし、一心一体になっているわけです。そういうふうに彼らも安心して来たんだと思います。

松井 すごく感動的なシーンだったと思って見てたんですけど。今の話でちょっと面白いなと思ったのは、町家を使って、今、福祉関係のものに転用するということがある。僕もちっちゃいのを一つ、したことがあるんですけれども、だんだん社会的な扉を閉じてきた高齢者の方々が、実は町家に戻って来ると昔に帰るんです。「回想法」、元に戻るのでそういうのですけれども、自分の二十歳くらいのピチピチやった頃にフッとなるんでしょうね。しゃべりださはるんです。「私、こういうところでこんなんしてましたんや」とかいう話をね。元気になってくるというか、活性化してする部分があるんです。

山極 そうですか。もう一つたぶん人間の能力として、言葉を持ったからこうなったのか、言葉を持つ前にそうだったのか、わかりませんが、記憶を外に出すという能力があるんですよ。記憶をいろんな環境に置いておくんです。だから写真を見たり、昔の道具を見たりすると昔の自分を思い出す。たぶん今松井さんがおっしゃられたように再び出会うとその記憶をよみがえらせてくれる、そういう作用を持っている。町並み保存をやっている人たちとお付き合いしたことがあるんですけど、何故町並みを保存しなくてはいけないかというと、昔の記憶を思い出させてくれるからなんですよ。それはたとえば言っては悪いけれども、少し認知症になった方でも、あるいは耳が聞こえなくなったり、目が不自由になったりした方でも、町並みが変わってなければ、町の臭いやら空気が変わってなければ、全然不自由なく歩けるんです。ところがいかに障害者に親切に作ってある町並みでも全然がらっと変わってしまった町並みでは歩けない。それはやっぱり身体が覚えているんです。頭の中に記憶が残っているのではなくて、いろんな身体の記憶が環境の事物にきちんと植え付けることによって、人間はいろんな風景と溶け合って生きているんだろうと思うんです。ひっとしたら、もう動物の時代から受け継いだ能力なのかもしれない。

松井 そういうことで言いますと、ある種の記憶みたいなものとか、なんだか思い出すことがゴリラにできた、自分の昔に戻れた、みたいなことがある、ということになると、社会性みたいなものはゴリラの場合どんな組み立て方をしてるんでしょう。

山極 だいぶ人間と違うんですよね。ゴリラというのは、face-to-faceの関係。毎日付き合う仲間が一緒。その集団の仲間として付き合っていない。彼らも同じように変わっていくから、昔の彼らを思い出すすべはない。久しぶりに会うってことがもし起これば、僕と26年ぶりに会ったのと同じような反応を示すんでしょうが、普通は、そういうことはほとんどない。人間の場合は、いろんな集団を遍歴して歩きますから、そういうことが起こりうる。その点がずいぶん、ゴリラと人間が違うところでしょうね。

松井 この前の番組で見てますと、人間に追いたてられて、シルバーバックがようけいるような、大きな集団になってきたよ、という話があった。今までこれくらいだったものが集まってきて一緒になってでも行動するようなことが出てきたのかな、と。

山極
 あれはオスが出なくなった。オスは大人になるとだいたい親もとはなれて独立していく。まわりが怖いもんだから、出ずに親もとに残って集団がどんどん膨れあがっていった。そういう結果なんです。だから集団の中に共存しているオスたちはみんな血縁関係にある。兄弟、親子。メスはあちこちから来てますからいろいろバランスがとれている。オスは本当に親子、兄弟です。

松井 今の現代の社会みたいなものですね。

山極 やっぱりオスの方が弱いですね。毅然とするのはメスだから。

松井 長いことすねかじって。

山極 だからオスは威張ろうとするわけですよ。見せかけだけね。歌舞伎役者のように見栄を切るわけです、ゴリラはね。ゴリラのドラミングと声をお聞かせしようと思って録音してあるんですよ。最初はドラミングをお聞かせしようと思う。森林の中でこういう音が聞こえてくるんです。いろんな声が聞こえる。だいぶ遠いんですけれどもね。ゴリラのドラミングというのは太鼓と同じで割と波長が長いもんですからかなり遠くまで聞こえる。これは近いです。ゴリラが胸に吸い込むと喉から胸の下にかけて共鳴袋がある。息を吸い込むと張るんです。それを叩くとこういう音がする。今ちょっとしわぶきの声が。オスの声は低いですから森の湿った空気に乗って届いてくる。たたいた後、他の連中がこれを諫めている。メスに怒られながら。これは綺麗ですね。これはいいですよ。夜よくやる。三方ぐらいから聞こえるんです。オスがドラミング合戦をする。これは私のすぐそばでやったもの。遠くから聞こえてくるドラミングに対して、こちらも返している。オス同士が自己主張している。それを聞いてメスが惚れ惚れとする。それでオスがやってくる。

松井 なんか芸がないとあかんなあ。

山極 もうひとつだけお聞かせしたい。これはもう、めっけものの声。実はこれは長い間とれなかったハミング。これは私がとったのではなく、アメリカの友人のジョン・ミタニという人がとって、ナショナルのコマーシャルに利用された。ゴリラというのはこんなに大きな音でドラミングをすると同時に結構優しい声でハミングする。私が聞いたのはものすごくのびやかに流れるメロディーですけれども。これは頭の部分だけメロディックに聞こえる。けれどもどんな声かわかっている。かわいらしいでしょ。こういう声でアウーンワというのがメロディーぽくなっている。そういう気分の時。これはオスなんです。だから歌はまずオスがやったんです。人間でもね。それを女性が聞いて、惚れ惚れする。よくわかりませんが。この機会ですから、ここにいらっしゃたみなさんもいろいろ言いたいことがあると思うので、町家のことでもどんなことでもいいですからご質問いただければ、松井さんと私が答えたい。何かあれば。

女性 ローランドゴリラが育児放棄しましたね。野生のゴリラも育児放棄があるんですか。

山極
 育児放棄はないです。

女性 動物園の檻の中のストレスですか。

山極
 日本の動物園で生まれたゴリラはもともと育てられた経験を持っていない。せいぜい2才か3才ぐらいの間に親から引き離されて連れてこられた経験を持ってますから、親に育てられたという記憶を持ってないので、どう育てたらいいのかわからない。子育てというのは、よく本能だと言われてますけれども、決して本能ではなくて、自分の経験と他の人がやっていることを見て学習するもの。日本の動物園のゴリラで、たまたま上野動物園で生まれた桃太郎、あれは奇跡的に親が育てた。そして京都市動物園で生まれた元気は、ひろみがこれも奇跡的に育てた。基本的には育てられなかった方が多いんです。栗林動物園で生まれたフジオも育てられなかったので、人工保育になった。世界でもそういう例が多い。だから日本の動物園で生まれてお母さんにちゃんと育ててもらったゴリラは、今度自分が産んだときに育てることが結構ある。

女性 子供たちから質問されたんですね。先生のテレビを見て、オスだけがたくさん集まると。私は福岡県から来たんですけど、別府の高崎山にありますね。リーダーが必ずいますよね。リーダーの交代劇というのが始まるんではないかと子供から質問されて、さあ、どうかな、これから先のことになるんじゃないかと答えられなかって。

山極 ゴリラはね、リーダーは交代しないんです。死ぬまでリーダーなんです。

女性 死んでしまうと次の。

山極 中からいろいろ選ばれますけれども、そこでけんかが起こることはめったにない。日本ザルですと、権力闘争があってリーダが追い出されるということもありますけれども、ゴリラの社会では決してありません。年を取っても若いオスたちに尊敬されている。リーダーになるのは身体の力だけでなく、経験とか老練なテクニック。

松井 人間で言えば人格。

山極 人間の場合はいろんな人々に支持されるというのがあるが、ゴリラの場合は子供に支持される。なぜかというと子育てのバトンタッチが起こる。お母さんはお乳をやってる3年間ぐらいしか子供に接しない。子供を育てるのは、お母さんについている3年間がすごく大事なんですが、3年以降は育てるのはお父さん。お母さんは3年たっちゃうとほとんどだれがお母さんかわからないくらい。ゴリラの雌というのは子離れがうまい。オスに預けちゃって、オスが一生懸命子供の面倒を見る。子供はお母さんではなく、お父さんの方ばっかりついて歩く。子供にとって大きくなってもお父さんはお父さん。そういうお父さんを追い出すなんて絶対にない。われわれも考えた方がいいですね。子供からお父さんが慕われてないといずれは追い出されるかもしれない。ゴリラ派から質問がありましたが、町家派からは。

女性 シックハウス症候群の病気になって、高校生くらいのときに学校で発症したんです。今一人暮らしをしていてだいたいマンションに住んでいたのですけれども、シックハウスでだめになって、今は町家に住んでいる。中庭があって風が抜けているような。マンションとか学校は、今の大学もそうだが、閉めきってしまうんですよ。全然空気が通らなくて。ちょっと窓を開けてほしいと言えば開けてくれるが、一日中24時間一年間ずっと閉めきっているから、窓を開けただけでは風が通らないし、全然意味がないんですよ。でも町家に居て確かに冬寒いし、夏暑いけれども、風が通っているから。土壁というのも私にとってみればうれしいことで、風がぬけてくれる、空気が変わってくれるから、すごく居心地がよくて。バイトをしてるんですけれども、そこでバイトができるのも風が抜けるから。町家建てで今の時期だと開けてくれるから。前にデパートの中で働いていたことがあったんですけれども、完全に締
閉め切ってしまうから全然だめたった。そういうのが身をもって感じることがあるので、こういう建物がいっぱい出てきてくれれば助かるし、本当にそういうのを持っている人がすごく多いと思うので、増えてくれるといいなと思って。

松井 風が通るというのは、根本的なことなんですよね。実は一つずつを分けてしまわない。中間領域というのがすごく大きいというのが特徴なんです。たとえば冬でも外は本当に寒い、氷点下まで下がる。となっても、障子とか空気が動くようなものですけども、いくつか閉じていきますと真ん中あたりでは結構暖かい。空気がある程度動かずにあるというのは断熱材になりますから、そこで温度がそれ以上は下がってこない。真ん中は結構暖かくなりますから、今の建物は薄い薄いこんな物一枚でこっちとこっちの温度を変えてしまおうというような断熱性の高いものを使う。それが効率がいいというのですが、これ(町家)は空気をすごく利用してますから、空気を閉じこめたり、動かしたりしている。常に入れ替わりはある。入れ替わりがあることというのはもう少し深く言いますと、外のこっちの奥には庭があるわけです。向こう側は道路があるんですけども、道路の方というのは社会的な時間が流れてる場所なんです。そこは時間の規定があって、約束ごとがあって「何時までにこれ持っていかなくてはいかん」というのが走ったりしているわけです。こっちの庭の方というのは、そういう時間と関係なしに、時が来れば花が咲き、実がなり、葉っぱが落ちることを繰り返しているという時間というものがある。全然違う二つの世界をつないでいるというところがある。先ほども社会的なお話を聞こうとしたのは、社会的なものというのは後から自分らで作ったルールなんですよ。その中で家も作ろうとすると、こういう四角く囲んで中を効率よく冷たくしたり、暖かくしたらええんちゃうか、という浅はかな発想になってしまう。実はそれでは人間はうまいこといかへん。それを形づくっているおおもとのところというのは自然であり、宇宙であり、という世界がある。そこともつながっている。風がつないでくれているんですよね。情報を運んでくれるといってもいいかもしれない。その2つをつないでいるというのが特徴なんです、この町家の。都会の中で自然とつながりながら生活できるというのが特徴ですし、それは人間にとって、動物としての人間にとっても生活しやすいはずなんですよね。シックハウスやアトピーいうような過剰に反応するものが少しでると、いろいろなものに微量で反応してくるんですけれども、そういうものも体力がつくとおさえられる。いろいろなたくさんのものがバランスよくある。ようけあるけどもバランスがいいので、それで体力がちゃんとつくんですね。囲った中に居ると少なくなるけどすごくバランスが悪くなる。たとえば掃除なんかするときでもそうなんですけども、綺麗に掃除しました、の後、水気が残っていると即細菌が繁殖するんですよね。風が通ることによって、乾かすとそれで大丈夫になるというところがありますから、風が通るということは町家にとって根本的に大切なところです。

山極
 今の話を聞いていて、ガボンの熱帯雨林で、暑い時はものすごい暑いです。40度くらい。そのときは動くだけで汗をかく。じっとしているしかない。じっとしていると実は風がスーッと流れていく。だから暑くても大丈夫なんです。神様が「働かなくていい」とじっとしている。考えてみたら、昔の日本人は昼寝してましたね。昼寝は畳の上で窓を開け放って、あるいはお寺に行ってゴロンと横になって、しばらく日が落ちるまで休んで、それから働いたような気がする。今もう限界まで働いているのではないか。朝晩ね。これは人間の体によくないのではないか。風の知らせるままに体を動かし、風の知らせるままに体を休め、としていくほうがよいのではないか。

松井 林住期なんていう言葉がありますでしょ。古代のインドでは4つに分けて、3番目の時期というのは林に住む時期。それは今おっしゃたことですよね。それまでの間というのは社会の中で子供を育て、社会にフィットしていくことではないか。それを済んで、100年生きるとしたら50歳〜75歳の間みたいなときが一番いいとき。でもそれはゴリラもやってるんでしょ、林に住んでいるんでしょ。

山極 ゴリラは昼寝をするんです。僕はゴリラの起きる時間にあわせて会いに行ってずっと一日ゴリラについて歩くわけですね。そうするとね、11時ぐらいになると昼寝なんです。ゆっくり昼寝して、2時か3時ごろにまた起きて歩いてベッドに入って寝る。これが一番体のリズムにいいと思う。日本に帰ってきても昼寝がしたくてしたくて、本当に困りました。つい寝てしまう。

女性 一ヶ月くらい前にニューヨークにおりますアメリカ人の友人から、日本に何か送ってきた。自分は40年くらい前に大学をお休みして1年間京都に住んだらしい。私に返品するという。これを友達が買っていったらしい。これは何かと。

山極 京都タワー。

女性 真意はわからないが、これがないならまだしも、と。電話でバリバリ言う。エジプトのピラミッドをタワーに替えているようなものだ、と。けしからんと言うわけです。私より詳しいんですね。その方の父親が、「広島、長崎に原爆を落としまして丸焼けに日本はされたけれども、京都だけは日本の宝だから空爆してはならん」ということで、私は興味を覚えて京都に行った、と。1年間居て本当にいいところだ、と。私も福岡から来て何十年ぶり。駅を見て驚きました。前衛的。北九州の門司港はまだ大正時代のルネッサンスの様式の駅を残しています。トイレも手洗いもそのままです。まるで、もうほんと、タワーから見たんですけど、福岡の町と変わらない。お寺がちょこちょこと見えますけれども。彼が言うには、京都の人たちがどうかせんとこのままではいかん、けしからん、と。

山極 この辺もマンションがいっぱい建て、町家がどんどんつぶれていくのが現実なんですね。京都市はいろいろ建築をおさえるような条例を作っているんですけれども、だいたい遅きに失した感じがある。今回の楽町楽家も町家のよさを知ってもらおうという試みで、いろいろな、特に京都の人たちに町家のよさを見直しましょうや、という話で始まったんですよね。

松井 そうですね。住んでる町家はなかなか入れないですよね。実際お住まいになっている家ってどんなんや、と。今、目に付くのは店になった町家であるとか、立派に直されて中を見てもらえるようにしてあるところとか、いうくらいのものですけれども、現実では住むことが一番大事。住んでる町家というのがどうなのか、なかなかわからない。いろいろな今日みたいなお話の会であったり、昨日は演奏会があったり、少しの間、1時間なり、2時間なり、この中に来ていただく機会を作ろうと。その時に何かしら感じてもらうことがあるやろうと思うんですね。すぐに反応できるような、言葉になるようなものではなくても全然いいんですけれどもね。すぐに言葉に返すのは芸人と政治家だけでいいんですわ。もう少し深いとこまで入ったら半年ぐらいかかってやっと言葉になってくる。あの時の光、綺麗やったなとか、風がふっと吹いてきたのがすごく気持ちよかった、とか。そういうものがどこかに残ってほしいという思いなんです。それはきっと町家のよさを体でわかってもらうし、さきほど申し上げた意識として社会とその前にある大きな自然というものと両方を行ったり来たりすることができるよさみたいなものをきっと感じてもらえる。それの大切さが今の時代だからこそ大事やということが、言葉として、それぞれの方の自分の言葉として出てくるんやないか、という思いで5年前からずっと、ある程度の規模で1ヶ月くらい、今年で90ぐらいイベントを組んでいるんですけれども、いろいろやって、少しずつでもわかっていただける方を増やそうとしているんですが、年間千軒くらい壊れているんです。

山極
 ああ、そうですか。

松井 これは壊すと今の法律では建てられません。この構造は無理です。それから材料がもうないですから。こういう近隣の材料ですよね。近くの材料を使っていますし、そういう材料は今は山が荒れてて、出して来られません。それから技術が少なくなってきている。こういうものを作れへん法律になってから、作る必要がなくなったので技術がすたれる。修繕はしてますから、修繕できる人はまだ京都にはたくさんいますけれども、それでもやっぱりだんだん減ってきている。

女性 1階と上とでは、3度くらい違う。今の季節は本当に涼しい。冬は逆に上があたたかいですね。すごく違う。これからもこういう生活をしていきたいが、消防法にひっかかる、耐震検査も受けていない。法律の内容に矛盾したものがある。

松井 おっしゃるように、このよさを活かそうと思って今の法律ではクリアーできないものがいっぱいあるんですよ。そこを何とか今の法律で胸を張ってちゃんとできるようにしようというのが僕らの活動なんですけれども、長いですね。なかなか。40年、50年かかる。それを待ってたら実は無くなってしまうおそれがある。京都でこういう形で建てられている戦前の木造の住宅で6万軒ぐらいあると思うんですけれども、おそらく無くなってしまうやろう。ほっとくわけにはいかない。一人一人が微力ながらそういうよさを何とか活かしていくという活動をしていかなければ。

山極 そろそろ時間になりましたので、ありがとうございました。