report◎堺町画廊再訪家 ─中京区 山極・伏原邸磯野英生(成安造形大学教授)
堺町画廊のギャラリーが改装され、オーナーの伏原さんがご夫婦で住むことになったと聞き、さっそくお宅に伺った。2年前に発行された「京町家通信」11月号では、堺町通に面した当初のギャラリーではなく、奥にある通り庭を新たにギャラリーに改装した部分を取材させていただいていた。ところが本体のギャラリーがなくなってしまったと聞いていたので、どのようになったのか、やや不安を抱いての訪問であった。
さて、新装となったリビング・スペースでお話をうかがった。以前はギャラリーの主要部分であった表の間がこのスペースになっている。部屋の北側の一角は、ご主人の書斎コーナーとなっている。北側壁は全面書棚となっており、ぎっしりと本が並べられていた。棚にはアフリカの仮面や彫刻が並べられ、床にはこれもアフリカの椅子やテーブルが置かれている。床は白いタイルが張られ、床暖房となっている。書斎とリビング・スペースとの間がやや古い洋式の、否、中国風の木製建具で仕切られていたが、かつて伏原家が医院を営んでいたときに使っていた薬局の窓口を転用したそうである。面白いのは、そのガラスの入った建具に小さな引き違いの窓が付いているところである。子供ならここでいろいろ遊びが出来そうだ。今度の改装工事を行うなかで、壁の中から出てきたそうである。昔の改装工事で、壊すのももったいないと思った大工さんあたりが残して置いたのだと考えられる。伏原家はお父上の代まで3代にわたって医業を営んできた家柄であるが、この家は明治の頃曾祖父の代に呉服屋から譲り受けたと聞いた。そうしてみると、呉服屋の構えから、医院としての構えに改装し、それをさらにギャラリーに改め、さらに住まいに改装したわけで、こうした懐の深さが柱・梁構造で構成された日本の伝統的家屋の良さかもしれない。 隣接するダイニング・キッチンのスペースはもとはやはり小ギャラリーであった。この部屋は医院を営んできたときには、診察室に当てられていたそうである。この部屋の外の庇は、瓦が敷かれているが、一部をガラスに替えられている(現在、板ガラスは透明アクリル板に替えられている)。これは、診察時に自然光を屋内に出来る限り取り入れるために行われた変更であろうということであった。
工事は前からお付き合いのあった熊倉工務店が行った。大工さんが工夫のある人で、天井の形状などいろいろな試みをやってくれたそうだ。左官工事は、作事組のさくあんさんで、今時珍しい人造研ぎ出しのキッチンも彼の手になったと聞いた。 かくして伏原さんはご主人の山極さんやお子さんとともに生家に戻ることになった。奥にはお母さんが住んで居られる。2世帯住宅である。 京都は今、町家を改造した飲食店がブームである。しかし、ほんらい町家は住まいとして使われるべきであろう。伏原さんのような家族がもっともっと増えてほしいものである。それが京都をほんとうの意味で復活させると信じるからである。 2005.1.1 |