• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会

report◎新婚新居としての京町家 ─北区・大西邸

磯野英生(成安造形大学教授)
 堀川通北大路を上がった紫竹地区に今回訪問した大西邸はある。この辺りは、昭和初期、田畑の広がる地域に宅地が開発され、住宅が建てられたところだそうである。今でもこのころの木造住宅をまだ随所で見ることができる。街路に北面する大西さんのお宅の前に立つと、総2階の木造家屋の西側から伸びている格子窓のある平屋が目に付く。その東側に接して格子戸があるが、その奥は外部となっており、短い路地が玄関に向かって伸びている。路地には美しい苔がびっしりと生えており、ふだんからよく手入れがされていることがわかる。住み手の人柄がよく出ているように思えた。

ファサード(写真:磯野英生)
 呼び鈴を押すと、奥さんが着物姿で現れ少し驚かされた。若いご夫婦と聞いていたので、そう感じたのである。さっそく奥の座敷に招き入れられ、ご夫婦からお話を聞くことになった。
 ご主人の建太郎氏は、お父さんの経営する幼稚園の副園長さんである。お住まいは、その幼稚園の敷地にL字型に包まれるようにしてある。建太郎氏は、この家に住む前に1年ワンルームマンションに住んだが、もう少し広いところに住みたいと思い始め、上京区で木造町家にさらに1年ほど住んだ。そうするうちに、父が所有するこの家を意識し始め、住むことになった。そして、「京町家作事組」のホームページを見いだし、メールで相談を申し込み、改装に取り組むことになった。
 ちょうどその頃結婚の話もまとまり、始めは独りで住むつもりであった住宅は、結局2人の新居となった。改装は2人で相談しながら進めた。設計担当は、京町家再生研究会の大谷理事長、施工は堀工務店となった。
 改装の基本方針は、元の状態を尊重することであったが、玄関に隣接する台所は大きく変えた。部屋の中央部に据えた流しと調理を一体化したステンレス製の台は調理器具メーカーに発注してもらい、その向きを座敷の方に向けた。台の向こう側に幅35cmのカウンターを据えて向き合わせ、そこで簡単な食事は出来るようにした。会話が自然に出来る台所にしたいというのが配置の意図であった。台の下は市販のもののように扉がないので、何を下に収めてあるか一目瞭然よくわかる。壁際に据えられたレンジは火力の強いものにしたが、換気扇が家庭用のものであったため、煙が室内に溢れることがあり、そのような時は勝手口を開けて料理をするそうである。それもそれほど苦痛ではないとのことであった。
 台所の奥の座敷は、床の傾きを直し、天井を洗いにかけ、壁を塗り替え、襖と畳表を張り替えただけで、ほぼ元の状態に戻した。炬燵が据え付けられた座敷はなかなか居心地の良さそうな部屋になっていた。傍らには壁に仕込まれたガス管から引かれたガスストーブが燃えていたが、冬はこれがやはり欠かせないそうだ。
 便所と風呂など水回りは、変更を加えた。とくに、便所はもともとは小便器と和風大便器であったが、それを洋風便器に変えた。部屋が狭いため、便所は脱衣室と兼ね、扉を付けずコーナーのようにしたが、扉を付けた時の息苦しさがなく開放的でかえって良かったとのことであった。
 2階は拝見しなかったが、お二人の寝室と奥さんの作業スペースだそうだ。奥さんは、着物が好きで、夫の祖母や実祖母や母から受け継いだ着物もたくさん持っておられる。そうした着物の始末や縫製をおこなう場所に2階のスペースはなっている。物干しのスペースも2階にあると聞いた。
 お話をうかがっていると、お二人がはっきりとした住居観を持っておられることがわかった。新しいマンションや住宅は、出来た時が一番美しく、どんどん汚くなっていくだけであるが、こうした木造の家は年を経ることが味になってくるということを言われる。またこうした家に住むことで「気を付けて住むことを覚えた」そうである。あるいは、「大事に住むという意識も芽生えた」そうだ。「手間暇かけて住むのが楽しい」ともおっしゃられた。
 夏には庭に打ち水もし、寝室には蚊帳を吊って寝ているというほどのこだわりである。暑い時は窓を全部開けて涼をとるそうで、エアコンはないとのことであった。
 このこだわりは正直すごいと思った。それをこともなげに成し遂げている二人のしなやかな住まい方には感心するほかなかった。
 さて、最後に、街路に面した部屋を見せていただいた。まだ荷物置き場になっていると恥じらいとためらいを持っておられたが、せっかくなのであえて見せていただいた(もっとも言われるほど荷物はなく、きちんと整頓されていた)。ここは床の間と違い棚のある3畳の茶室(正味4畳半)であった。奥さんの弟さんが来られた時に泊まる部屋になっていると笑っておっしゃっていた。それにしても家そのものは借家普請で全体的には質素な仕上げになっているにも関わらず(失礼)、わざわざ茶室の部屋をしつらえるこの贅沢。さすが京都と思った。
 見送っていただきながら、あらためて路地の苔の美しさを想った。入居したばかりの頃はこれほどではなかったそうで、掃除などを心がけた結果このような状態になったとこともなげに言われた。このような感性を持った若き住み手が町家に住み込んでゆくことになれば、京都も楽しみである。期待したい。
2005.3.1