祖母の旧宅を京の宿に ─左京区・「あずきや」磯野英生(成安造形大学教授)
通りの向かい側にあるウェスティン都ホテル京都の偉観と比べると、この「あずきや」の佇まいは対照的だ。間口は2,5間ほどの町家で両隣には町家が残り、気づかずに通り過ぎてしまうほどのささやかな建物である。 この「宿」を2年前から経営されている北村チエコさんにお話をうかがった。(いただいた名刺には、「宿守」との肩書き。ここにも彼女の気概が見て取れるように思う。) 北村さんは、経営者としてはずいぶんお若い。30代になったばかりと聞いている。京都の芸術系短大で美学美術史を学んだこともあって、都市景観のあり方にも興味があった。イタリアの都市例えばシエナと比べてみると、都市の看板のあり方など京都はずいぶん対策が遅れていることがわかったそうで、看板条例も10年前にやっと制定されたのだと言われる。 この町家を活用することを思い立ったのは、この町家の老朽化を知った時だった。雨漏りもあり、このまま放っておく訳にもいかず、何とかしなければいけなかった。壊そうという気持ちはなかったので、ギャラリーやカフェにと考えたこともあったそうだが、結局「宿」を選んだ。その理由の一つは床を落としたくなかったからだそうで、この町家を大事にしていられる心持ちがよく伝わってくる。 改造にあたっては、元の姿に戻すことを基本とした。大工さんは、東隣の家を手がけていた方にお願いした。この方はかつて下鴨で工務店を経営しておられたが、仕事を依頼した時には滋賀県のマキノ町に引退しておられた。しかし、かつて率いておられた職人さんに声を掛けて、快く仕事を引き受けてくれたそうである。 工事に入った頃は、イギリスなどのゲスト・ハウスのように気軽な運営をイメージしていたが、工事中に職人さんからいろいろ教えられることがあり、また家がどんどん良くなっていくことを見るにつけ、考え方が変わっていった。町家の価値について、さまざまな側面から、そのものの価値を再認識させられたのだと言われる。 そこで、宿の運営のイメージが出来上がっていった。お花を生け、掛け軸も掛け、しつらえをきちんとした部屋に泊まってもらい、もてなしの心をもってお客さんを迎えたいと思うようになってきた。お客さんにも町家の価値をしっかりと受け止めてもらいたいと思うようにもなった。言い換えれば、町家のハードな面での良さだけでなく、ソフトな部分も含めて、京都の生活を理解してもらうように考えるようになったということのようだ。 改造は必要最小限にし、元に戻すことを基本とした。宿の機能を持たせるべく、かつての押入は便所に変更したが、桟戸はそのまま生かす工夫をした。表の間は当初から洋風に仕立てとなっていたので、そのままお客さんの食事室としテーブルを大小2セット置いてある。 壁はほぼ全面的に塗り替えたが、一部北村さん自身の手になる壁もあるそうだ。 宿泊のための部屋は2室。ささやかな(失礼!)宿であるが、室内には快い緊張感があり、清々しい印象を受けた。 東京や関東方面からの泊まり客がやはり多いが、そのなかでも若い女性が圧倒的に多いそうである。なかには一人旅の男性もしばしば泊まる。2泊する場合は京都観光が中心だが、3泊以上の場合は奈良も含むようで、外国人などは1週間泊まることが多いようだ。お客さんの多くはとおりいっぺんの京都観光には飽き、より深く京都を知り、楽しみたいと考えている人が多い。先日も、1階でお花のお稽古をする折の会話がとても快く聞こえてきたと、若い女性の泊まり客が言っていたそうである。 北村さんの運営といった方がよさそうな経営のスタンスは、これからますます評判を呼ぶに違いない。ここには他者をもてなすしつらえと心の原点があるように思えるからである。 以前布屋さんというやはり町家を宿とする家を取材させていただいたが、そのおりに町家の宿のネットワークを築き、運営経営を発展させることもあり得るという意見を述べさせていただいた記憶がある。ところが北村さんはすでに布屋さん夫婦ともすでに懇意で、ネットワークのことも射程に入れておられるそうだ。今はまだそれぞれ個々人の宿の経営に忙しいようだが、きっとその考えは10年もすれば大きく発展しているに違いない。楽しみとしたい。 2006.1.1
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