町家の庭 No Want, No Waste ─中西邸末川 協(再生研究会幹事)
丸太町岡崎道の東を少し下がったところ、大塀の町家をお店と住居にされている中西さんの「Kyoto生Chocolat」をお訪ねした。氏と奥さんのシェリーさんがこの町家に巡り合われたいきさつは京町家通信の44号に紹介されており、今回はその庭のお話を聞きにお訪ねし、実際に作庭に取組まれた芝田明男さんにもお話が頂けた。お客さんの上がる二続きのお座敷の東西両側に庭があり、東の前栽には4間ほどの奥行きがある。移り住まれた時には笹や庭木がジャングルのように茂っていましたとシェリーさんは笑っておられたが、ロジニワからオモテの庭まで、大きく育った松や椿は、塀の見越しに伸び伸びと町家の正面をつくりながらも、内側ではすっきりと刈り込まれている。前栽ではもともとの桜や梅、紅葉や金木犀の配置を活かし、濡れ縁からつくばい、灯篭、太鼓橋、待合、築山、中門を経て、お菓子や茶を楽しめる四阿(あづまや)まで、庭の奥行きを最大限に活かして跳び石が続く。説明を聞かないと、もともと庭にあった素材と新たに芝田さんが持ってこられたものの見分けがつかず、住まわれて一年とは思えないほど庭全体が一体に馴染んでいる。 芝田さんはとにかくあるものを使うことをお仕事の基本とされ、その場で刈られた笹の小枝を使って渡り廊下の袖垣や隣家の目隠しの垣を編み、今までの解体現場でストックした竹や奇木、使い込んだ足場丸太、ご自身の山から切り出した雑木で四阿や待合、門などを作られた。四阿の屋根も同じ笹の小枝で葺かれている。庭の南側を区切るアヤメ貼りも別の解体された町家から持ってこられ、跳び石や築山も手持ちと現場材の再利用、寄灯篭は二つの石臼、かずら石、餅つき用の臼で組まれている。きれいに育っている苔は山から、新しい庭木の多くもご自身の畑から選んで移された。
「冬は寒く、春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく、それ以外の過不足なく」とシェリーさんの願う通り、この町家の1、2階には今も障子一枚のほか内外を隔てるものはない。自分の命はそのまま自然の一部、だから庭は暮らしに不可欠なもの、日々の暮らしの中でも門や橋、つくばいの意味を感じ、庭の草木が姿を代えながらまた同じ庭の一部になっていくことも大切なことを教えてくれると言う。それを知識ではなく「道」に通じるセンスでしつらえたというのが芝田さんの仕事に対する評価で、重機や大きな工具を使わない芝田さんの手仕事を毎日見ることも楽しみだったと言う。 お店を開かれてからしばらく、一人のお客さんがお茶も頼まず、いきなり庭へ出て行ったことがあったそうだ。驚いて訳を聞くとこの町家にかつて25年間住まわれた方で、どうしても庭が見たかったと言う。昔の姿を残しつつ生まれ代わった庭をうれしく思い、後日ご姉妹も連れてこられたそうである。 この庭での次の取組みについて芝田さんにお伺いすると、自然に任せながら茂ったところからまた考えたいとのこと。ご苦労された点をお伺いすると、仕事中に元気な息子さんの遊び相手をすることだったそうである。その点もしっかりと報われているようで、訪問の間、息子さんからも庭木の名やこもごもの工夫をお教え頂き、この町家の庭が今後もながらく愛されることは間違いないだろうと思う。 お暇する際には、優しく透けた笹の門を再び潜り、シェリーさんの書を芝田さんが彫った額に触れ、中西さんからのおみやげを大切に頂戴して見返すと、入り口のななかまどの紅葉が真っ盛り、お隣の赤松の枝には東山からの月が懸かかっていた。町家の庭を介し、時にかなったよいご縁が結ばれていることを感じた。そこにあるものを無駄なく(no waste)用い、そこにあるべき以上は求めない(no want)、そんな町家の庭の再生を見せて頂くことができた。 2007.1.1
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