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京町家再生研究会

職住一致の暮らしの再生・継承  ―中京区・光安邸

末川 協(再生研幹事)
光安邸
光安邸
 東洞院夷川上ったところ、町家を日本料理店に改修された光安さんのお宅をおたずねした。三軒の家が立体的に組み合わされた珍しい町家である。おもて2軒の借家の中央に通路があり、その先に大家さんのお宅がある。一般的な大店と借家の構成とは逆になっている。昭和初期型の町家の中でも特に階高が高く、左右の借家の出窓もそれぞれ大きく、全体で存在感のある正面を持っている。光安さんは正面右手の町家を借り、1階をお店に、2階を住居に改修され、今年の10月に開業を果たされた。

 大阪出身の光安さんは、京都の大学の英米文学科に在学中に祇園の割烹のお店で丁稚をされていた。その時のまかないの、生まれて初めてのおいしさに感動し、以降、京都で料理人として手に職をつける道を選ばれた。日本料理の修業を続ける中、仕事だけではなく暮らし全体もおのずと日本の伝統に向かい、はじめのお子さんが出来た時点で生活の場を切り替える決心をされたという。ご自身もそれまで伝統的な家屋に住んだことが無かったけれど、お子を育てる環境として町家を選び、岡崎の借家から町家暮らしをはじめられた。何事も手軽にすませないこと、不便の中で暮らしのありように気づくこと、季節や自然が身近になったこと、家族が皆で古い建物での暮らしから得るものも大きかったという。そしてこの夏に木屋町の料亭の料理長を引継ぎ終え、職住一致の暮らしの実現を目指し、この中京の町家での独立開業に向かわれた。仕事をしながらも家族が安心して見えること。それを独立の大前提とされている。

 実際の開業準備にあたり、光安さんは、もてなす料理の種類や順番の検討と並行に、厨房、客席のレイアウトを考えられた。途中、カウンター席を設けることや床を土間に落すことも検討に含めておられたが、「町家」でお店を始める原点にいつも立ち帰えられた。本来のままの町家を、もてなしの場としてどのようにしつらえるかという目標を絞りこまれていった。ミセニワから2階住居へのお客さんと家族の動線の重なりも、無理な区分は行わず建具一枚で仕切り、職住一致のあり様をそのまま素直に受け入れる決心をされた。町家の構造改修と主だった内外装の手入れは大家さんが済ませており、2階での住居機能を完結すること、1、2階の間での防音の処置、厨房となるハシリの設備改修、客席の畳の敷きこみ、建具の取付や建合せ、電気の引き込みなどを京町家作事組に託された。一方ご自分でも便所や庭の改修を行い、客席のしつらえもすべてご自分でコーディネートされた。衝立や嫁隠し、障子などでミセ、ダイドコ、座敷の客席ごとにやさしく仕切りながら、お店全体に奥行きを持たせている。これらのほとんどは、ご近所の井川建具店から譲り受け、多い日には3回、二週間近く井川さんの倉庫とお店に通われたという。倉庫中の建具を動かして番頭さんに叱られたこともあったそうだ。その甲斐あって、「すべての建具を見せてもらいました」。結果、据えられた建具たちはいろいろな形が混じりながら、時に本来の場所を離れながらも互いに馴染み、全体のしつらえをつくっている。同じくこだわりの照明器具も井川さんから紹介をいただいた骨董屋さんや、骨董をたしなむ以前の木屋町のお店のオーナーから譲り受けたもの、自作の器具を含め、ほとんどご自身で取り付けられている。お膳やカウンターは、作事組から紹介のあった三加和木材で作ってもらい、お客さんの数や、組み合わせで入れ替えできるようになっている。前栽の手水がわりの石臼もそこで分けていただいたそうだ。ミセニワの靴脱ぎも土塀の基壇を転用したユニークな石が据えられている。器も漆器を中心に古いものを自分の足で集めてこられた。

 郊外から洛中に移り、住まいながらお店の開店の準備を進めるにあたって、ご近所のお付き合いが格段に増したという。周囲の皆がさりげなくも親切に関心を持っていることが大きな励みになったという。建具を探しにいくと井川さんからまず学区の運動会の案内をもらったこと。開店時間に家族の自転車を置く場所を相談にのってもらったこと。開業を迎えた日にはお向かいのご主人がきてくれたこと。その後もご近所のお客が多いこと。皆が見てくれている安心感は、お店を開いてからもなお増している。小学校から戻った息子さんがお店の仕込みの時間や土曜日に、友達だけでなく、公園でよそのお父さんと遊んでいたり、時にはご飯まで呼ばれていたり。逆に今回の取材中も、仕込みの時間に、息子さんの友人たちが、元気に挨拶しながらお店を通って、何度も2階へ駆け上がり、奥さんいわく「何人、いま来てるのかわからんくらい」と。

 改修工事中に大工さんの仕事をみながら、息子さんが「大工さんになりたいなあ、でもおいらにはもっとなりたいものがある。それは料理人」と言っていたそうだ。ご近所に見守られながら、仕事をしながらも子達がすぐに声の掛けられるところにいること。そして同時に、将来自分も板場を目指したいという小学生の息子さんとお嬢さんが、ご主人の仕事の姿とそれを手伝う奥さんの姿をいつも見ていること。それが京都都心の町家で独立を目指すもう一つの前提となっている。町家の継承とともに、職住一致の暮らしがここでも再生・継承されることを祈念します。
2008.1.1