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京町家再生研究会

好みの町家から家族の町家へ  ―下京区・宮原邸

末川 協(再生研究会幹事)
 2005年の夏、中堂寺の町家を入手され、町家暮らしを始められた宮原氏は、改修工事で家具や床の柿渋塗りの応援に来ておられたゆっこさんと翌年にめでたくゴールイン、そして、その年末には長男の福之介ちゃんを授かられ、町家での暮らしも3年目に向かわれている。
 宮原氏は、古いものをこよなく愛し、改修工事では畳と土壁を新しくする以外、ほとんど新しいものは無し、ご自身で選ばれた古建具や骨董の照明を取り付けられ、お手持ちの古い家具と大切な器を並べ、好みの世界を町家で貫徹する暮らしを実現された。各地の老舗旅館へ泊まることも大切な趣味の一つであったけれど、町家に住み始めてからは、ご自宅が一番、その必要がなくなったという。
一家団欒のようす
一家団欒のようす
 町家に移って半年後、ゆっこさんとの暮らしが始まった。ご自身の町家の世界にゆっこさんの世界が加わるようになった。ハシリに愛らしい器や調理器具も並びはじめた。そして人が集まることも多くなった。一階奥の2室を開け放せば、そこに友人が集まり、各人が同じ場所に座りながら誰とでも話が飛び交う。古いものの美しさを映す町家に、別の一面が広がり始めた。親戚や遠くの友人が京都を訪ねてくることも多くなった。
 そして福ちゃん誕生。テレビ台の前には柵が置かれ、おもちゃも町家の世界に加わった。前栽も町家の庭の体裁を整えると一緒に、たのしい砂場も出来た。人の集いの周りでは、子ども達が好きなだけ走りまわる。ゲンカンからハシリへの上がり下がりも大好き。二階の窓から物干しへの出入りも大好き。
 ここまでの町家暮らしの総括を宮原氏から。まずは公式的な町家批判の反論から。いわゆる町家の住み辛さは、別の暮らし方を町家に当てはめようとしたことが間違いの始まり。夏の涼しさのための土間のハシリが冬に温かいはずは無い。けれど、それなりに冬に暖かい場所は別につくれる。維持管理にお金がかかるというのも同様。本来必要な手入れのスパンと優先順位、コストを初めに理詰めで知ればそんなことを思う必要もない。もともとの町家の収納の大きさも大事なこと。町家の美意識に直結している。部屋がちらかりにくく、掃除がしやすい。結果、限られた空間が、時々に応じていっぱいに使いこなせる。そして結論はお茶目に。改修の初めに火袋の掃除で出合った「まっくろくろすけ」は今も町家に生きているに違いないと。
 実際にハシリに立たれるゆっこさんから。足にしもやけが出来たけど、自分にはそれが快適さという尺度とは結びつかない。冬の寒さは当然のこと。夏の二階の暑さも当然のこと。だから寒さを恋しく思える。町なかに居ながら自然に一番近い住まいが町家。建物の中でも風を感じられ、1人でいても家の内外の音を感じられる。土壁のカビも当然。有機的な建物なのだから。ねずみが出るのも当然。自分で穴を塞げばなおさら町家が愛しくなる。
 極めつけはウ○コ事件。土管の排水管に詰まったウ○コの汲み出しもした。最後はやはりプロの高圧洗浄に任せたし、いつか塩ビ管に取り替えるかも知れない。でも、それまで水洗で何処に流れていくかも意識しなかったことが、今は流れていくのを見て、ありがとうと思う。生きていると思う。ものを大切することも建物から教わった。お父さんが一生懸命コーディネートした古い建具。今まで他所で見るだけの骨董が実際に住むものに変わった。おかげでものが捨てられなくなった。使い捨てが出来なくなった。何でももっかい使おうと思う。
 そして福ちゃんが生まれてから。ハシリへの段差は子どもの運動。いずれ障子のガラスで怪我をしても危ないことはきっちり覚えるだろう。引戸に手を挟んでも大きな怪我はないし、その仕組みもすぐに覚えるはず。ご自身の子育てのためにはバリアフリーではなく、ありのままの町家に先人の知恵を知ることがいっぱい。探検することがいっぱい。覚えて育つことがいっぱい。福ちゃんの声がいつも聞こえるから、お父さん、お母さんには家の中の何処にいるのかはいつも分る。
 そして「家は徐々に私達と一体化して、日々の暮らしと会話している」。
2008.7.1