若い仲間の実家の改修 ---- 鞠小路通りMs邸末川協(京町家再生研究会幹事)
増築を取り払った火袋 小屋裏収納に上がる階段はMs氏の祖父の手作り 改修後の1階座敷 大屋根の前後にそれぞれ雨漏りがあり、オモテの庇の腕木も折れていた。北側柱の沈下が10cm以上、北向きの倒れも棟付近では20cmを超えていた。一目瞭然、ハシリの土管からの漏水が原因である。水道職人のくせにである。「紺屋の白袴」とはよく言ったものである(他人のことは言えた口ではないが)。年明け早々に概算の見積もりを渡した。そこからハードルが二つ、銀行の融資と地主から土地を買い取ること。毎日の多忙な現場での仕事の中、3つ目の地場銀行と融資の話を付け、地主とは、買い取りの話はご破算になったものの、改修には「承諾料」で決着をつけたのが昨年の3月、晴れて設計着手の運びになった。「本気で頑張っておるな」と実感した。 「普段から町家の改修の仕事は見てます。なので全部、設計士と大工さんに任せます」。Ms氏の祖父が、京大の実験機械を作っていたオクの作業場を撤去すること、同じく2階が増築されていた火袋を吹き抜けにもどすこと、建物内にお風呂を設けること、後は外観を含めて元の町家の姿に戻すこと、シンプルで基本通りの町家の改修である。 改修には京都市景観・まちづくりセンターの「町家・まちづくりファンド」の助成を申請した。担当課長が、「ここまで減築しているのですから、既存の小屋裏収納は活かしたらどうですか」好意的な意見をくれた。Ms氏の祖父の手作りの鉄骨階段を火袋に再設置する案が決まった。ファンドの委員会の現地視察では、まちセンの専務理事から、「この予算でほんまに大丈夫か?」「大工親方の友達価格です。例外と考えてください」。副委員長からは、「あんたの設計はお地蔵さん付きの町家が多いねえ」「外装の改修時にはレッカーで吊りますから大丈夫です」などなど。手続きに時間はかかったが11月には着工となった。しかし、この1年近くの間に雨漏りは格段に進み、Ms氏は2階にブルーシートを張って暮らしている有様、表替えで見積もっていた畳の床もグサグサになっていた。 解体後の調査でわかったことは、移築というよりは、たくさんの町家の再利用材を組み合わせて町家の骨組みができていたこと、建物の間口方向にもすべて横架材を縮めた跡があること。ファンドの委員長が解体後にも調査に来られ、オモテ1階の腰の下見板貼り、戸袋の復元などの変更設計も行った。もちろん上下水道に関わる工事はすべて施主の直営工事である。町家のレベルが戻り、立ちが直ってきれいになるにつけ、Ms氏にも欲が出てきて「犬走のモルタルは墨入りにしたいんですけど」「ミセニワの床は三和土にして、下駄箱もほしいんですけど」。晴れて今年の4月に無事竣工出来た。Ms氏のお母さんには「うちの家がこんな家やったとは思いませんでしたわ」と喜んでいただけた。 普段の町家改修の現場で、ムードメーカーを務める若いMs氏。「子供の頃、友達が遊びに来ると恥ずかしかったんですわ。『M君のうち、階段が箪笥になってる』って言われて」。「でも、町家の改修の仕事してるうちに、うちの家もしっかり直るし、次の100年も持つって分かってきたんですわ」。どこで聞きつけたのか、昨年の祇園祭前祭、鶏鉾の手伝い方を志願してきた。「毎年の休みのことは会社と話をつけます。これでも職長3年やってますから」。山鉾巡行での音頭取りも今年は2年目、浴衣姿も格好良く馴染んでいた。 尊敬する先達の言葉を借りるなら、経験の伝達に意味があるとするならば、若い世代の判断の自由さや強さを育てることはその大切な目的だ。期せずに、そんなことを気づかされる改修であった。自らの見る目、抱く感情、価値観には信がおけるのだという気持ち、生まれ育った町家に、そんな気持ちを若い職方が知らぬ間に持っていてくれた。第5期を迎えた棟梁塾、町家にまつわる上下水道設備の講師をMs氏にお願いした。彼の講義が楽しみである。彼の経験が、さらに若い世代に伝わりますように。 鞠小路通に面した改修後の外観 改修後の前栽側外観 2016.9.1 |