• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家再生研究会

自宅の改修 −地域の記憶も繋ぐ

塩本 知久(京町家友の会)
 兵庫県姫路市にある実家を改修した。城の北東にある旧城下町・野里地区の一角、間口3間半、1列4室型の町家で、明治十年代の建築。設計・工事は、京町家友の会と京町家作事組を通じてご紹介いただいた姫路・町家再生塾にお願いし、昨年10月末の着工から半年余り、作事組の皆さんにも助言をいただきながら、今年5月に完成した。姫路・町家再生塾としては、町家一棟全体の改修に取り組んだ初めての事例で、様々試行錯誤をしながらの取り組みだったようだ。施主としても、この家で暮らしたのは30年以上前のことで、ここで実際にどのような生活をすることになるのか、だんだんと実物が見えてくる工事の過程を通じて、町家再生塾の皆さんと一緒に考え、想像しながらの改修になった。この過程は、改修が終わった今も、まだまだ続いている。

 この家には今、ウラの離れに両親が二人で住んでいる。我々は、普段は神戸におり、週末毎に実家で過ごしている。仕事の都合で、この1年のうちにはまた東京に転勤することになるはずなので、改修が終わった今もこの家を生活の拠点にはしていない。そんなことで、使い方を考えるのに余計に時間が掛かっているのかもしれない。

  改修にあたって真っ先に議論になったのが、台所だった。我が家の台所は、ずっと土間のままのハシリニワ。3年前に両親がウラの離れを改修して、室内に台所を作ったので、当面母屋には必要なくなっていたのだが、いずれまた母屋でも生活するようになるときのため、今回作り直すことにした。しかし、台所に立つ人からは、「冬には冷気、夏には蚊。土間の台所は耐えられない。皆が部屋で楽しく過ごしているときに、自分だけが離れた暗い所で炊事をするのは絶対に嫌」の声が..。思案し、議論した結果、母屋と離れの間、トオリニワの先にあった附属家を台所に改修することにした。居室として利用しながら、必要に応じて土間としても使えるよう、床を下げ、石のタイル張りにした。床の石タイルには、町家再生塾の山田塾長の提案で、地元産の竜山石を使ったが、トオリニワのたたき土間や台所の内装ともよく馴染んで、よい感じに仕上がったと思う。ここは母屋とは別棟ということもあり、少し遊んで、前栽に面した壁の半分をガラス張りにし、カウンター型のテーブルを置いて、前栽を眺めながら食事もできるようにした。座敷の様子も見える。いずれはここが、この家の主婦が一番長い時間を過ごす場所になっていくのだろう。

 この家で一番居心地がよい場所は、改修前もそうだったが、天窓の下あたりのトオリニワだろう。ちょうどこの辺りに、座敷への上がり口や、水屋を置いた台などがあって、そこにベンチに腰掛けるように腰掛けて、吹き抜ける風を感じながら過ごすことができる。薄暗いトオリニワに天窓からやわらかく差し込む光が、黒い納戸や、今回塗り直された土壁を美しく照らしてくれる。トオリニワの壁は、改修前は白っぽい壁土だったが、その下から、建築当初の壁と思われる赤みがかった漆喰が現れたため、この色に戻してみたところ、土と木の温かさが気持ちをふっと緩めてくれるような空間になったように思う。

 一方で、残念なことに、改修中、近世以前から当地で栄えた鋳物師集団に連なる旧家の町家などの立派な建物が、近隣で相次いで解体された。解体された町家から建具の一部を譲り受け、再利用させていただいたほか、新設した出格子と結界格子のデザインを、この町家の格子を参考にさせていただくことにして、工事途中で変更してもらった。地域の記憶を?いでいくことに、少しは役立てただろうか。

 完成後の5月、改修を終えたばかりの建物を、お世話になった地域の方々へのご恩返しも込めて、地域のイベントに合わせて公開した。予想以上の人が入れ替わり立ち替わり、途切れることなくお越しになり、「うわぁ、うちもこんなんやった・・・。嬉しいなぁ。」等と言いながら見学してくださった。改修して良かったと、自分自身も、また最初は良い顔をしていなかった両親も、感じた1日だった。見学者の中には、町家の改修に興味があると言う人も。後に続いてくれる人がいたら、何よりの幸いである。


2017.9.1