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京町家再生研究会

熟年夫婦の居住実験−退職後の暮らしに京の町家を選ぶ

網野 正観(京町家再生研究会)

外観-ある雪の日
 始まりは、一本の電話に遡る。「網野さん、次の調査は京都の町家をテーマにやりませんか。」「分かりました。企画を考えてみます。」こうして始まった調査は京町家の保全・再生の取組をトレースする2年間の調査となった。そして、私自身が、京町家について多くの知見や知り合いを得ることにもつながった。1年目の報告書のあとがきに、京町家に関して驚いたことの一つとして、「居住者へのインタビュー記事を見ると、暑い、寒い、不便、小動物・虫が出るなどのマイナス要素にかかわらず、京町家の魅力を評価し、居住する人たちが確実に存在することが分かる。」と記している。そしてこの驚きの感覚が、尾を引くことになった。長い間、まちとすまいの仕事に関わってきた自分の好奇心に火をつけたともいえる。町家を残すことの意味も私なりに理解できたし、そのために理解のある新しい担い手が求められていることも分かった。

 折しも2回目の退職を控えて、次なる生活設計を考える時期であった。思えば多くの伏線や要因が一つの方向を示していて、定年退職を機会に京都に引っ越して町家に住むことにしようと決心することにつながった。内心、自ら居住実験を始める気分でもあった。

 妻の賛同も得て町家に引っ越すと決めてからは、精力的に家探しを行った。仕事から退いたら速やかに住まいも引き払うことにしようと思っていた。ネットで検索し、土日祝の休日に京都に出かけて、現地を訪れる。内覧するのは売家のオープンハウスの時のみ、あとは立地と外観の確認。情報センターにも入会した。「住みたい町家を探しに行こう」にも夫婦で参加した。とにかくたくさん見て回った。

 そして、この家に出会った。北野商店街から数軒分外れたところにある2軒長屋の一軒を改修したもので、オープンハウスで中を見た時の印象はかなり良かった。一階は、4畳半の和室を雪見障子で仕切って、あとは間仕切りのない大空間のLDK.火袋にあたるところに吹き抜け。織屋建ての形式でリビングにも吹き抜けがある。内装のセンスも悪くない。ただし価格は予算を15%オーバー。他にも、長屋であること、車は行き止まりの路地であること、建物の南側がこの路地に面していることなど気になるところがあった。妻は、この家が、いつも初詣に訪れている北野の天神さんにほど近いこと、平安京の大内裏跡にあたることやオープンハウスで見た古建具の存在感などにいたく心を掴まれた様子であった。その夜は慎重派の夫とこれに決めたい妻との攻防となった。


鉢植えのバラと物干場
・・・引越しが決まり、妻が丹精を込めて育てたバラを里親たちに届けた。凡そ三分の一のバラが京都まで旅をして町家の庭に収まることになった。

 この庭に関しては、もう一つ話がある。慎重派の私が気にしたことの一つに南側が路地に面していることがあったが、それは洗濯物干しの日当たりのことでもあった。前の家は、広い空の真只中にあるような所で洗濯物がよく乾いた。雨天でもサンルームのようなキッチンが格好の物干場であった。この家の南側は路地に面していて、2階の花台も洗濯物を干せる状況ではない。目の前には向かいの家の窓がある。北側の庭の一角に樹脂製の屋根付きの物干場があるが、何しろ陽が当たるか否かおぼつかない。引っ越しが10月末。だんだん太陽高度が下がっていって日当たりは寂しい限りであった。さすがにシンドイなと思っていた。しかし、春、夏と進むにつれてこの空間は素敵な物干場に変身した。陽の射さない物干場を見ながらも、夏のポリカ屋根の下の温室のような空間を思い浮かべることができる。うれしい誤算であった。

 ところで、2年間空き家であったお隣が、最近、売りに出された。また新しい担い手を迎えることになり、お付き合いも始まるだろう。町家のことだけではなく釘抜地蔵さんのふるまい汁粉、ゑんま堂狂言、町内の地蔵盆など地域の催しとの出会いもある。

こうして熟年夫婦が始めた京の町家での居住実験は今も続いている。

<網野 正観(京町家再生研究会)>


2018.1.1