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京町家作事組

百年間の瓦のうつり変わり
光本大助(作事組理事、光本瓦店)
●瓦の歴史
 日本に瓦が渡来して、今年で1414年。現在日本で最も多く使われている「和型」と称する桟瓦が、近江の瓦師西村半兵ヱさんが発明したとされている日から328年目になる。ここ百年の変化などほんのわずかな間のようであるが、加速がついてか、それまでの1300年とは桁違いであった。今や高級品となった植物系屋根材(桧皮・柿・クズヤ)にとってかわって都市部の一般家庭で瓦が葺かれるようになったのは明治になってからかもしれない。
 明治時代の瓦の作料表(1人の職人が1日に作れる瓦の数を種類ごとに表したもの)を、今も製造原価の根拠にしている店が京都にある。表面的に見える瓦の形、施工の納まり、美的感覚は100年前も今も変わらない。しかし関東大震災以後、瓦がずり落ちぬように尻剣(ツメ)が付くようになった。これも全国に行き渡るのに40年ほどかかっている。情報の伝達が鈍かったし、しかもこのツメは葺土にさすためのもので、今のように桟木に引っ掛けるものではなかった。

●震災の経験
 最近の大変化はやはり阪神大震災で、渡来以後瓦にとって最大の事件だと私は思っている。京都大学防災研究所が、瓦の重みが家屋倒壊の一因と考えられると発表した。(社)全日本瓦工事業連盟が瓦の土葺の廃止を宣言したのは、せめて土の重さだけでもなくしたいと思ったからであった。その時すでにニュータウンでは瓦ばなれがはじまっていたと言うか、進んでいた。それに拍車がかかって致命的打撃をくらうのではと、その時本当に怖かった。

●実大実験を繰り返す
 その後、京都の瓦組合では自作の瓦屋根振動実験機を作って、100体近くの試験体を作っては揺すって、壊してみた。本当の性能が知りたくて、京都大学防災研究所におしかけて、ビデオを見てもらったら、「瓦が重くて」と言った藤原先生が「おもしろそうだ」と言って来てくれて、「3000ガル以上もの加速度が出ている。屋根の強さを調べるのなら十分すぎる」と評価してくれた。
 実際瓦の葺き方は、その後、全国規模で大きく様変わりをし、建設省の出した基準を上回る自主規制の施工基準を決めて「全瓦連・屋根設計施工ガイドライン」というものを作ってしまった。例示工法を示し棟補強、全数止め付けをして、実験を繰り返す。屋根ごとひっくり返して落ちないか調べる実験まである。これで瓦の信頼を回復しようとしていると、今また新たな敵が表れた。「しっくい屋」「シリコン屋」などで、とにかく瓦にぬりまくる。たしかに動かなくなるが雨が漏り始めると今度は治らなくなる。訪問販売で高額を取る。「瓦は国家資格を持った専門業者に」と言っても口は相手のほうが達者かもしれない。

●瓦のもつ柔軟さ
 瓦は瓦らしく使ってほしい。いろいろ実験してみると、地震の衝撃にも、そして木造住宅がゆっくりと長年かけて変形しても、たとえ屋根がヒシ型になっても、その変化に対応する柔軟さを持っていることが、本当に強いのではないかと思うようになった。建物のゆがみがそのまま屋根の形に現れても、真っ直ぐに積んだ棟が、グニャグニャに曲がりくねっても雨をしのぐ性能に変化のない屋根も多く見てきたし、神戸の震災の現場で、手の届かないほど離れている隣のビルにぶつかった跡形の残る家の瓦を、1日で修理して帰ってきた経験もある。スレートではこうならない。屋根地に張り付いたものでは、バリバリに割れるであろうし、そんなに直に置き、暑さが伝わったのでは、木も長持ちしないと思う。今の世の中では、一滴の雨もりも、1枚の瓦の落下も許されない中での施工になるので、昔とは工法は大きく変わったけれど、これまで気付いた瓦の良さを損なわないような施工をしていきたい。