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京町家作事組

実家に戻って京町家民宿を始める…上京・Nz邸


梶山秀一郎(作事組理事長)


【設計者のコメント】 この町家で育ち、独り立ちして所帯を構え、子育ても概ね終わったご夫婦がご両親の家に戻り、ご主人が長年培ったホテルマンの経験を生かして京町家民宿を経営するというのが改修の目的であった。
 不適格建築である町家の用途変更や消防法令の適合、旅館業法の営業許可などの難題を抱えたまま、お互いを励ますように“何とかしましょう”と改修事業は始まった。
 この町家は元は北隣の土地と一体の敷地に建っていて、金糸問屋の所有であったものをご父君が譲り受け、住まいと自ら経営する税理士事務所として使ってきた。2階建ての主屋と南に接続する平屋の住まい、前栽を挟んだ東側にある平屋のはなれ及び巽蔵などで構成され、南の平屋は主屋に残る床梁の接続痕から改築と見られ、棟札から大正11年の建築と分かった。主屋の年代は不明ながら、鍛造の釘から明治20年から30年の間に建てられたと思われる。
 建築されて100年余の間に何度も改修が重ねられていて、張りまわされた壁や天井をめくることは発掘作業のようであった。それらの改修のいずれもが構造改修を伴わない、曲がったなら曲がったなりに補足材で補正するといったもので、架構を直す−入れ替えられた柱や梁も同様だが−と改修部材が曲がったり下がったりということになり、揚げ前や歪み突きは困難を極めた。また大正以降の建築に入れられた土台や通風を阻害された床組及び大壁で覆われた構造材の蟻害が甚だしかった。
 お施主さん夫妻は毎日のように現場に通われ、改修の様子を記録し、各職方の話を織り交ぜてホームページに公開され続けた。また改修方法や仕様についても職方の意見を聞きながら決めていった。職方も次から次ぎに仕事が増えるなか、辛抱強くていねいな仕事をしてくれ、75才を超える大工コンビは“ワシらの駆け出しの頃はこんな改修ばっかしやった”といいながらこうしようか、ああしようかと半ば楽しみながら仕事をしていた。
 改修に踏み切ったときのかけ声のように、この改修に関わった者全てが“何とかしましょう”という意気込みで改修を達成し、改修事業最後の難関であった営業許可を取得することもできた。事業はいよいよ京町家民宿の経営という本番を迎えることになった。


外観正面 40年ほど前の改修で、表の1階部分が壁で覆われ看板建築となっていた。   外観正面 表の壁を撤去し、下屋を復旧し、出格子、格子戸を新たに造付けた。ペンキの塗られていたムシコも左官で塗り直した。開口は避難のため残し、格子戸を入れた。

ミセ(事務所) 壁、天上にプリント合板が張られていた。

ミセ(食堂) 事務所として仕切られていた壁を撤去し、天井は既存の大和天井を復活させた。拭き漆塗りのテーブルも作事組のメンバーによる。




担当 設計:NOM建築設計室/施工:熊倉工務店