• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家作事組

京町家町会所の復元・改修 ──下京・祇園祭船鉾町会所


設計・アトリエRYO/施工・山内工務店


ファザード(改修後)
◎山鉾町の町会所
 建物は新町通仏光寺上ル船鉾町のほぼ中央部で通りに西面する。間口3間、奥行7間半、総2階建の町家はトオリニワに沿ってミセ、上下ダイドコロ、オクの1列4室から出来ている。正面北側戸袋に南接して表庇の上に桟橋を架け、道の真ん中に建てる船鉾に、直接2階窓から渡ってゆく仕掛けを内蔵する、祇園祭山鉾の船付場として考えられた特殊な建物である。約60mの奥行を持つ敷地最奥部には、解体した鉾を収蔵する土蔵を構え、表の主屋との間の長大な裏庭は、鉾建てや巡行の準備をする作業場として用いられる。毎年7月1日から1ヵ月の間は本来の用途としてお祭りに供されるが、それ以外の期間は、建物は表借家として借家人に貸し出され、家賃は祭費に積み立てられている。従って町会所は町内会の寄合、神事、お囃子の稽古と展示、借家人の店舗兼住居等の諸機能を有した歴史的複合建築なのである。

◎修復前の状況
 所有者である(財)祇園祭船鉾保存会のお話しでは、当町会所は、1864年の蛤御門の変の戦火で焼け、明治初年頃建て直されたという。正面の軒裏はモルタルで塗込められ、トオリニワや室内の壁天井は耐火ボードや合板で貼られていて、本来の町家の様式は殆ど見失われていた。解体調査しながら判明したことだが、四隅の通し柱の足元が腐朽し破損していた事もあり、外からの振動で建物がよく揺れ、南方に約18cmも傾いていたため、建物の安全が心配され改修することになった。


ミセノマ(改修後)


トオリニワ(改修後)

◎改修のポイント
 作事組のメンバーの共同調査により、建物の復元プランと意匠及び架構の仕組が考察され、改修計画が決定された。正面の意匠は町会所向かいの長江家に残された昭和初期の写真を根拠に、表庇を大和葺にし出格子や格子窓が再現された。モルタルで包まれた2階庇や表庇の持出梁や吊金物が再発見され、昔どおり修復される。トオリニワの巾が戦後の改修で拡幅され、大小黒柱が切断されていたのを当初位置に戻し、新しい檜柱に差し換え、真壁を塗り戻すことにした。また南北側壁を構成する通し柱柱列32本の傷んだ足元を不陸なく全て根継ぎし、葛石の上に揚前し据え直す。さらに奥の方から順番に柱を建て起こす歪み突きを行った。火袋の吹抜を一部復元し、隠されていた高窓からの光を取り入れる。柱列に古色を付け、側壁の保存された土壁を塗り直し、最後に色漆喰を化粧塗りし土間を三和土で仕上げると、トオリニワの空間が清々しく復活した。同様に表ミセから上下ダイドコロ、オクの間も天井のササラや床板を露し、柱列を見せながら京土壁を塗る。階上の4室は施主の要望に従って間仕切りを撤去し、床は全て畳を敷き詰め、壁は元々の土壁を塗り直し中塗り仕上げで止めおくこととした。露わにされた小屋組に特徴があり、側壁から側壁まで渡る3間梁から大黒柱や小黒柱が吊り降ろされ、それを支点に均衡を保つヤジロベイの架構法となっている。そして、桁行方向への揺れを止めるための半間の壁が1、2階共4枚ずつ補足され、耐震性を高めている。
 船鉾町会所の修復工事は平成18年9月から平成19年1月にかけて実施され、全ての工程を保存会や町内の方々に温かく見守って戴いた。江戸時代から伝わる大工の伝統工法が存続する事や、様々な職種の仕事が町家を支えていることを実見していただきながら、この文化遺産としての町会所が将来にわたって末長く、健全に引き継がれてゆくことを願うばかりである。

木下 龍一(作事組理事)
2007.5.1