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京町家作事組

生家の町家を再生活用 ──中京・Yd邸


設計監修・京町家作事組/施工・山内工務店

◎経過と改修目的
 お施主さんは友の会の会員で、京町家ネットを通じて作事組に相談があった。場所は奥の深い路地の最奥にある。数年前までご両親が住んでおられたが、他界した後は無住で、引き継いだお施主さんが祇園祭の接客という限定的利用をされていた。状態は沈み、歪みを含めた傷みが著しい。ご両親は前住居に大がかりな手を入れた直後、強制疎開により打ち壊された苦い経験から、住まいに手を入れなかったとのことである。それが故に、近代のよけいな手が入っていない町家が残った。

ベンガラ実習の講習
 相談時は未だ活用の仕方については未確定であった。将来は自ら夫婦で住みたいが、当面は事情が許さないため活用をしたい、できれば町家体験宿泊所のような、ということだった。資金調達は国民金融公庫の女性向けの資金融資と決めていて、自ら手続きをして承認にこぎ着け、改修に取りかかることになった。
 改修内容は浴室の新設を除けば構造改修と壁や造作の傷みの修理であったが、特筆すべきは施主の理解を得て、京町家棟梁塾の改修実習が実現したことである。もっぱら構造改修の間に、3人の塾生が常傭で入り、瓦職の塾生が補修を請け、休日に総出で壁の補強やベンガラ、三和土などを実習した。
梶山秀一郎(作事組理事長)


「てったいかたとして、現場に入ってみるか?」
 棟梁塾で、いよいよ本格的な構造改修の現場を長期実習として組める運びとなった際に、私にかかった声。それが上記のカッコ内の言葉。手傳、現在てったいさんと言っても若い人にはきっと通じない。建築現場には無くてはならない存在だった建築界の力強いよろずや、てったいさん。私にとっては尊敬の対象の職種なのに、現在では中々日の目を見る事がない不遇な職方。光栄な提案に一も二も無く、「ハイ、やります!」と何も考えずに反射で答えたのが初夏の頃。分からないまま現場に入り、分からないまま汗をブルブル流してきました。
 こぼち、材料運び、掃除、ゴミまとめ…。一つ一つの仕事が難しいという訳ではないと思うが、てったいは大工をはじめ、現場に入るあらゆる職方の動きをスムーズにさせるという働きをもつので、その辺の連携を考えるとやはり奥が深いものだと思う。現場に入る全ての職方の動きと日程的段取りを頭に入れておけばもっと良い働きが出来たかと思う(やはり熟練が必要な職方であることは間違いないと再認識)。また、タコ(大きな角材に持ち手を二つ付けたもの )で地面をついたり、のべ石や束石を据えたり、土壁の下地の木舞を編んだりと、てったいらしい仕事もさせて頂けた。便利な道具や材料に頼らない仕事に携われたのは本当に光栄だったと思う。
 家をシッカリともう一度真っ直ぐ立たせる、“揚げ前”、“いがみ突き”。山内工務店の田中さんと松岡さんが頭をひねり、棟梁塾生の大下さんと私が彼らの指示のもと少しずつ、少しずつ力をかけていく。この作業はマニュアルという概念が虚しい位、やってみないと分からない(ようだ)。柱の傾きが戻りすぎて反対方向に引っ張りなおしたり、ワイヤーをかけた場所より上部が動いてくれなかったりと、試行錯誤の繰り返しだった。とても一度でスッキリ真っ直ぐに立たせるなんて事は無理だ。でも、この経験値を上げることで、この工事の肝を少しずつ押さえていけるのだろうと思う(最終的には傾いていた柱は真っ直ぐ立ちました)。
 奥の深い京町家改修工事。失われていく技術と文化と生活様式を、ただただ擁護するのではなく、その一つ一つの意味と意義を掘り下げて次の時代に繋げたい。地域社会の完成型が過去にはあったのかも知れない。社会の中の一つの機能でもあっただろう一軒一軒の京町家、その意味と意義を現代に、そして次代に活かせたらいいと思う。そのためにこれからも学び続けていきたいと思います。

林田憲和〈京町家棟梁塾塾生〉

改修前外観
下屋軒裏がモルタルで塗り込められていた。

改修後外観
モルタルを剥がすと町家の軒組が現れた。玄関戸は新調、木部のベンガラ塗りは棟梁塾実習の成果。

三和土実習

2007.11.1