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京町家作事組

町家を二つに分け、新規事業をおこす ─中京・Ym邸


設計・アトリエRYO/施工・アラキ工務店

 錦小路中魚屋町北側に間口6間×奥行13間程の元仕出屋の町屋敷がある。東側には、巾3間×奥行7間のムシコ2階1列3室の明治初期の主屋が存在し、その西側に明治35年上棟の独立した1列2室の座敷棟が増築され、更にその奥に、明治11年の土蔵が構えられている。この町家を主屋側の半分3間分を既存のままに保存し、西側半分の座敷とつぎの間6帖を改造した、それまで経営していたそば屋の店を陶芸の店舗に再生しながら、奥の座敷と2階の2室及び裏の土蔵1・2階を、アート&クラフトギャラリーに利用する新事業を企画実行するべく、作事組へ改修工事が依頼された。還暦を迎えた主人が、それまで36年間6帖の間を厨房にし、小庭と塀の部分を通りいっぱいまで増築し、土間使いのそば屋として使っていたので、本来の町家座敷の骨組みがどうであるかは判別不能であったが、保存されていた3間巾12帖の本座敷の立派な床構えや、仏間のしつらいが、改造時の危うい工法や、材料選択の問題を越えて、充分頑丈、かつ繊細な町家架構の存在を物語っており、我々の信頼に値するものである事を証言していて、速やかに改修方針をたてる事が可能となった。
錦小路の店先とギャラリー入口
錦小路の店先とギャラリー入口
座敷床構え
座敷床構え
土蔵を改修したギャラリー
土蔵を改修したギャラリー
前栽にて──全国交流見学会
前栽にて──全国交流見学会

◎経過と改修目的
 通りに面した店の側架構を保存しながら、そば屋の内装を全てとり払い、小屋梁を補強しつつ、ヒトミ梁を新設する。中央東寄りに門口柱を立て、引違い格子戸と残りをシャッター仕舞いとし間口を二分割する。こうして、ギャラリー玄関と店舗出入口とを分けて表現し、格子戸をくぐり、敷台をこえ、座敷東辺を貫通して、奥の前栽まで客を導く通路が設置されることとなった。12帖の座敷に半間巾の通路をつくる事は、非常に難しい課題だったが、畳に敷居を入れ、鴨居を吊り、白張りの太鼓襖と、展示用家具で仮設壁を設けて結界することにした。もちろん、美しい一枚の竿縁天井には手をふれず、12帖大のままで保存しつつ、3個の吊照明も、昔のまま再利用する事にしている。上
店から奥への通路
店から奥への通路
(写真提供:昌の蔵・堀内工務店・アトリエRYO)
等な古畳の上に固定する展示棚のすわり具合や、3間通しの吊鴨居の取付けには、細心の注意を払うこととなったが、座敷側からの室内風景や、トンネル通路を通って感じる、ミセから庭・土蔵への見通しを含め、改修の狙いは良く達成されたと感じている。全ては仮設的作法であって、京町家独特の室礼の伝統がそこに生き続けているといえよう。店舗内の側壁の柱列はほとんど全部根継ぎ、揚前を施した。天井裏に隠れていた美しい竿縁天井に敬意を表して保存し、新しいボード天井と対比させ、中塗土の古壁と、砂じっくいの新壁を併在させることにより、新古東西の文明が、和の精神で統一されるという店主の思想に同調させた。

 食の町・錦市場とはいえ、今や外国人や日本全国からの観光客が目立つ町に変わりつづけている。そこに奥深い京町家の空間が再生され、京の食とすまいの文化を発信する場が設けられた事は、変化の中での幸いなことだと思われる。施工担当の若い大工達が、熱心に伝統工法の細部の技法に情熱をそそいだ事や、土中にあった大きな白川石の葛石や前栽の庭石を時間をかけて再加工し、配置替えしてくれた手伝さんの職人技の集積も、庭にのこる桜や楓が風にそよぐ四季の移ろいと共に、訪れる人々に錦の町家の味わいを濃密にしてくれるに違いない。一つの町家を二つに分ける現代事情の町家改修工事ではあったが、そこに生きる人々の心の内側は、もともと一つに繋がっており、町中連続して展開する事と物のひとつながりの現象のあらわれかもしれないと感じる今の気持ちである。
木下龍一(作事組理事)


2008.1.1