織屋建の町並みを生かした町家再生 ─ 北区・A邸設計・内田康博建築研究所/施工・山内工務店
■経緯など 昨年7月、アメリカ人の男性から流暢な日本語で事務局にお電話があった。西陣に織屋建の長屋の一軒を購入したので改修して使いたい。日本に来る際の別宅として使うが、退職後は別荘としてゆっくりと住みたいとのこと。早速、現場でお話をお聞きすることにした。 長い間日本と京都でよい時間を過ごしたので日本特に京都の良さを守り、日本への恩返しとして町家の保存と利用はよい方法ではないかと考え、日本に家を持つのに京都のなかでも最も通りの町並みが整い残っている西陣の織家建のこの建物を選ばれた。お聞きするとご主人の出身地はアメリカ東海岸のナンタケット島。メルヴィルの「白鯨」の舞台ともなった当時世界最大の捕鯨基地で、捕鯨が衰退した19世紀末の建物がそのまま保存され、アメリカでも最も古く美しい町並みを残す地域とのこと。 アメリカでは、昔の風景が町で暮らす人々の付き合いを深め、伝統的な建物の共同保存が経済の発展を促す実例としてよく取り上げられているとのことだった。 お会いしての打合せは、子供の学校の休みにあわせて年に数度の来日時のみ。それ以外はメールと郵便でやりとりしながら設計の相談を進め、日本の職人に対するおおきな信頼の下、インターネットを利用して海外からフォローいただきながら工事を進めた。 ■改修のポイント 建物は1列3室型、織屋建の形式で、2階は続きの2間。奥に作業のための小屋が増築されていた。築年は火打ち梁があること、2階が高いことから大正から昭和の初め頃と思われる。1階のファサードは腰壁+金属格子付窓に改修されていたが、もともとの出格子に戻したいとのご希望で、腰壁を解体すると元の出格子のひとつ石が現れ、ヒトミ梁に残るほぞ穴にあわせて復元した。また、2階は装飾だけの虫籠窓を本物にした。機織のための土間は床を新設して畳敷きの広間とし、ハシリニワは土間レベルのままタイルを貼ってキッチンセットを据えた。2階には独立した子供部屋を作るために吹き抜けに1間張り出し、奥の小屋を解体して風呂、トイレなどを新設した。
主要な構造体をみると、長屋建てのため柱は両隣とも共有で、梁はお互いに壁を突き抜けて隣家の梁の頭をみせている。柱、梁に大きな問題はなく、外部に面する柱の一部に根継ぎを施し、または添え柱を添えるのみとした。2階床の不陸は最大3センチ程度みられたが、隣家と一体のため揚げ前は最小限に留めた。屋根瓦と野地板は傷みが激しく、母屋を残してやり替えた。 古建具や、アンティークの照明器具、前栽の石灯籠や手水鉢、踏石などはご夫妻で様々に選び、工事の進捗状況はメールでお送りする現場写真を楽しんで頂いた。本格的に使われるのは初冬の予定のため、前栽は植栽に適切な時期を待ち、完成の予定である。
内田康博(京町家作事組理事)
2009.9.1 |