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京町家作事組

「斧屋(おのや)」再見─中京区・釜座町町家(ちょういえ)改修工事


設計・アトリエRYO/施工・大下工務店


 釜座町町家は、三条通新町西入北側の間口2間半、奥行11間の敷地に建つ、明治初期の1列3室型の小型町家である。改修前は裏の前栽をつぶして建て増した3帖間が、渡廊下とつながり、奥が暗く閉ざされた印象があった。釜座町の町会所として寄合いや地蔵盆に使われていて、1、2階共3間取りではあるが、上下階の平面がくい違っていて、1階奥の間が6帖に対して、2階は座敷が10帖間となっていた。町内の寄合いのため、2階座敷を後世に拡大したものと思われるが、東側トオリニワの火袋に、半間の片持梁をさしかけた骨組は非常に不安定で、東側柱列の足元が浸水のため腐り、11cmも沈下し、架構全体が東に傾き、床も同時に大きく垂れ下がっていた。改修工事はほぼ全ての柱を根継ぎ、揚前し、基礎花崗岩葛石に水平に乗せ直し、更に歪突きをして修復を完成させた。念のため更に松古材の梁と添え柱で、2階持出し壁の荷重を受け補強する事にした。


ミセ

トオリニワ

前栽
 改修計画のポイントとしては、ミセを土間とし、連続するトオリニワをタタキ仕上げにして、裏のハナレ迄貫通させた。その為前栽が広く明るくなり、つくばいと飛石を配して、残されたモチの木と移植したモミジ、シシガシラの新鮮な露地庭が誕生した。

 他方、改修のプロセスにおいて、前もって決定していた2階のムシコ窓や1階の平格子とは別に、玄関横、腰ヨロイ貼の詳細寸法や、オダレ庇の存在が残された古材の痕跡から浮かび上がり、忠実にかつての如く復元する事になった。特に幕掛けの上の屋号表示の枠構えが発見された事により、以前の所有者であった斧屋家の名称を再び復活させる事を、施主である釜座町町内会に相談し、スリガラスに文字を透明でスリ残すこととなった。百三拾年余りの時を超えて、町の共同体のシンボルとして、人々が守り続けてきた斧屋の墓標が町家の正面に蘇ったことは、関係者一同の想像を超えた驚きの結果となった。歴史的建造物の修復工事の中でこそおこりうる素晴らしい出来事として、記憶にとどめたい。

木下龍一(作事組理事)

2011.1.1