• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家作事組

昭和初期の路地奥長屋の再生——左京区Si邸


設計・内田康博建築研究所/施工・山内工務店


ファサード
 琵琶湖疏水がインクラインから夷川ダムを経て鴨川へと流れる間、桜並木が涼しげに水面に映える美しい散策路が続く。その途中、東大路と交わる付近の路地に面する3軒続きの長屋の一番奥の町家の改修である。間取りは1列2室型。土台があること、総2階であることなど昭和初期築の特徴をもち、元々は現在東大路高野第三住宅となっている鐘紡京都工場の社宅として開発されたとのお話をご近所さんからお聞きした。
 お施主さんは東京在住の方で、時間をかけて京都で町家を探し、購入された。まずはセカンドハウスとして使用される。

構造改修など
 瓦は十数年程前に葺き替えられたと見られ、現在は雨漏りは見られないが、一見して床の不陸と柱の傾きが顕著で、大黒柱を規準として表側の隣家(西側)との共有の柱が34ミリ下がるなど、建物外周部が全体に30〜45ミリ下がっていた。また、東西に連なる長屋全体が東側に傾き、大黒柱が鴨居レベルで45ミリ倒れていた。歪み突きは3軒まとめて行う必要があり、隣家と共有する柱を上げるには隣家の内装のやり替え等も必要となるが、既に様々な改修を積み重ねており、それを一部とはいえやり直すことは現実的ではなく、隣家に影響のない範囲で改修を行った。建物外周の柱の沈下は主に土台の腐朽によるもので、一部柱の根元まで腐朽が及んでいた。腐った土台は入替え、隣家に影響のない範囲で揚げ前をし、根継ぎを施した。1階の床レベルは敷居鴨居を付け直すことで調整し、2階の床は根太で調整して水平とした。傾いた柱は可能な部分は足元をずらして垂直に近づけた。表側の隣家と共有の柱の沈下はそのすぐ近くに落ちる縦樋からの排水の漏れが原因で、排水桝と排水管を掃除して対処した。
 給排水とガスの引き込みは裏手にとられた設備用の狭い路地を経由しており、配管はすべてやり直してそちらに接続している。

間取りの変更など
 もともとは1列2室型であるが、1階の庭に面する縁側が4畳半の洋間に増築され、そのため座敷が薄暗くなっていた。また、階段がミセの間の押し入れからハシリニワに移設され、火袋は2階に床を張り廊下とされ、その下のキッチンが暗くじめじめしていた。元々の形式を活かすことを改修の基本方針とし、増築された4畳半を撤去して広縁として復元した。階段をハシリニワから元の押し入れに戻し、火袋の2階の廊下を撤去して明るく風通しのよい吹き抜けにもどすことで気持ちのよいキッチンとした。2階は元のまま2室とし、オクの間は低い天井を撤去して垂木下に杉板を張り上げ、天窓を設けて明るい空間とした。壁の多くは化粧合板が張られていたがすべて撤去し、傷んだ壁は竹木舞からやり直し、中塗り仕上げとした。風呂、洗面脱衣、トイレはタイル貼りで傷みが酷く、間取りを整理してやり直した。表は腰壁付きの平格子に復元し、入口の格子戸も新設し、2階の窓はアルミサッシを撤去して木製建具とし、内障子を設えた。その他の内部建具の多くは古建具を探してデザインを楽しんでいる。


玄関からハシリと座敷をみる

2階オクの間天井

内田康博(作事組理事)

2013.7.1