景観重要建造物の町家の改修--上京区 Mk邸設計:末川協建築設計事務所 / 施工:アラキ工務店 改修後のハシリニワ Mk邸はオモテの間口が2間半、主屋の奥行き9間、規模の大きい明治中頃築造の町家である。ウナギの寝床の中でも稀有な一列五室型の町家である。他には同じ油小路通り沿いの上立売下った一軒を知るのみ。傷みは先の雨漏りに加え、オクの座敷の北東側の沈下が顕著、オモテの南側3面が南に倒れ、オモテ半分が南隣の建物と連棟でその間の仕口が外れかけ、つっかえ柱で補強がされていた。幅1間半、高さ7mの火袋や、奥行き3間半のツシ2階は圧巻であったが、かなりの土壁が下地から傷んでいた。一方現代的な改修はほとんどなく、風呂と便所の改修だけが済んだところ、土間のハシリは人研でオクドさんも健在だった。近年まで五右衛門風呂が現役だったそうである。 Mk氏のご家族5人が夫君の実家に戻られて暮らす町家の改修の要望は、お子さん3人の部屋をそれぞれに持つこと、ハシリの床を上げ現代的なキッチンにすること、ご家族がそろって食事やだんらんを出来る場所を、ダイドコを中心に設けること、2階の物干は維持したいことなど。Mk氏の父上は植木屋さんだったそう、Mk氏もジャンルは違うが技術職を継がれ、土木のエンジニア、妻君も設計士の資格をお持ちで、設計の打合せはしごくスムーズに進んだ。Kb邸の改修現場もご家族で見学に来ていただけた。市の景観政策課のご担当には、27年度中、そこそこの時期に助成金額のFIXをお願いしたが、結局28年度の初頭になった。結果的に多少の予算オーバーになっていたがMk氏には了承を頂けた。見え掛りを除く土壁の補修に対する市の助成には、耐震診断と耐震設計が必要とのことだった。作事組での町家の構造に関する考え方を伝えた上、明治期の町家の通し柱の効果を加えた壁量計算を行い、助成の範囲に含めて頂いた。担当係長の度量に感謝する次第である。 そして、28年の6月の工事の挨拶廻り。Mk氏がご近所の方々から「ご家族連れて戻ってきはんにゃねぇ」と人気者でうらやましく。追っかけ荒木棟梁による掛り初めで工事着工。棟梁塾4期生卒の若手の大工が工事の主任を任された。揚げ前、根継、イガミ突きの作業をいつもニコニコ笑いながら、ベテランの応援や後輩と軽口をたたきながら、淡々とこなしていった。週1回の定例会議では、施主への確認事項も丹念にメモしてくれていた。解体後に分かったことは、元の町家の軸組をオモテ側に1間伸ばした跡があること、ダンニングの中心になるダイドコの上のササラ、側柱の傷みが予想外だったこと。アラキ工務店の専務が、リアルタイムで増減清算を準備し、施主への信頼を担保してくれた。いつもの改修現場のとおり、廻が奇麗になるとあきらめていたところも当然のように気になりだす。南隣の横山竹店の力添えも大きかった。オモテ半分の構造改修や土壁の裏返し、3段の棟瓦の取り合いのための立ち入りはもちろん、離れの板金屋根の改修に支障になる瓦の突き直しや、谷や水切りの設置のため、やっておいた方が良い外壁の改修まで、同時の工事で行って頂けた。妻君はキッチンや照明器具を、納得いくまでご自身で選ばれた。毎回の定例にお茶と飲み物を持参頂き、時にはご実家から「草加せんべい」を。図らずも今回も「京男」と「東女」のお施主さんであった。4月の初めに夫君の実家に引っ越しを済まされたMkご一家。お子さん3人が京都の都心での暮らし、特権的とも言える町家での暮らしを今後とも長らく堪能され、次代に伝えられますように。 末川 協(京町家作事組 理事)
2017.5.1 |