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改修手順の作法・第3回

相談・学習期2
梶山秀一郎(作事組理事長)

§住み手の話を聞く

住み手の話を聞く
改修を終え、暮らしている町家を訪ね、住み手の話を聞く
 住みこなしも技の修練も試行錯誤であり、失敗の数だけ熟練する。そうやって町家は町なかの暮らしの器として成長し、ひとつの型として完成した。改修についても同様で、40数年に亘る町家を基本にした暮らしの喪失期間を経た今、改修にあたっては町家に盛り込まれた暮らし方や作り方をトレースすることと併せて、今の暮らしや技術との折り合いをつけるための試行錯誤が必要である。それは実際の改修プロセスや改修された町家での暮らしの中でやっていくしかないわけだが、建築は作っては潰しというやり方が困難なため、あらかじめ改修の仕方をデザインすることになる。その際に有効な指針を与えてくれるのは既に試行錯誤を重ねた上に改修を終え、試行錯誤の暮らしを始めた住み手の話を聞くことである。当初不安に思ったことがそれほどでもなかったことやうまくいった工夫、そして見込み違いによる失敗などが聞けるだろうし、改修設計を進めるにあたっての住み手と作り手の協働の仕方についてのアドバイスも受けられるはずである。

§住み手と作り手の対話

設計図は理解の補助
図面やパースなどでは暮らしぶりまではなかなか伝わらない
 この頃新聞や雑誌上で設計者と作る住まいづくりを取り上げた記事を目にするようになった。商品化住宅に飽き足らない住み手が増えてきたのだろうか。それらの記事にほぼ共通する趣旨は設計者がそれほど遠い存在ではないこと、視点を変えた新たな住み方の提案が受けられること、住まいづくりのプロセスが楽しめること、そして最後に設計者の選定にあたっては慎重を期することを注意して終わる。最後の指摘は経験済みの住み手であればもっともだと思う人が多いだろうし、設計者であれば古傷がうずく者が多いと思う。住み手の要望や敷地などの設計条件を受けて設計者は自らの構想を図面やパースあるいは模型ときには自分の作品を案内したりと、あの手この手で住み手に説明し理解を得ようとする。しかし住み手が設計段階でどれだけ理解できているかは疑問である。それは図面などの表現は抽象的でなかなか生活実感に結びつかない、提案された生活が今までの生活とかけ離れている等々理由はいろいろあると思うが、最大の理由として現代には住み手と作り手の間に住まいや暮らしに関する共通認識という基盤がないことである。

住み手と作り手の対話
対話を通して、住み手は作り手から、作り手は住み手から学ぶことが大切
 町家に設計者はいなかった。とはいうものの設計行為がなかったわけではない。町衆が施主でありかつ設計者であったし、大工棟梁を頭とする職人が施工者であり設計者でもあったのである。そしてなにより双方に住まいと暮らしに関する共通認識があった。子どもとのコミュニケーションのためにリビングアクセスにしようかとか考えたり、家庭の機能のほとんどが社会化された今、家族を中心に据えた住まいは成立しないのではないかと悩んだりする必要はなかった。そしてその共通認識である住まいと暮らしの型の上に設計の腕をふるうことができたわけである。それがどれもこれも同じように見えながら、つぶさに見ると随所に独自の工夫がみられ、隅々にまで神経の行き届いたしつらえのなかにきらりと光る意匠が凝らされ、暮らしにフィットした肌着のような心地よさが感じられ、豊かさとふくらみのある空間をもった住まいを実現した。
 学習期には住み手と作り手が共に参加し、成果を共有することが大切であるが、町家というテキストを素材にして対話を重ね、共通認識の基盤を作ることがさらに重要である。その際できあがったときに後悔をしたり古傷を増やしたりすることがないようにするための心がけとしては、教え、教えられるという共に学びあう関係をつくることである。
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