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改修手順の作法・第8回

改修作法〔その4〕技術編
梶山秀一郎(作事組理事長)

1)町家の特性を生かした構造にする
 町家は伝統木造軸組構造である。地震に対して、直下型(花折、亀岡両断層、有馬高槻構造線など)のガタガタの揺れは建物を軽くすることと足元の免震性に頼り、遠地型(東海、東南海など)のユッサユッサの揺れに対しては柱の曲げ強さと仕口のめりこみによる制震に頼る。壁には耐力を期待しないが、土壁は破壊寸前には粘りで倒壊を引き延ばすことに貢献する。

短周期のガタガタ地震(左)と長周期のユッサユッサ地震(右)

 以上の説明が難しいのが側壁である。側柱(隣家に接する両側の壁に入れた柱で約1m毎に立つ)は細く、足元も頭も梁などの横材でつながれてはいない。貫では繋がっているものの板貫であり、かつ柱を貫通も、楔で締めることもしておらず、土壁の下地以上の役目はない。いえば側柱が折れずに真っ直ぐ立っていること自体が不思議なのであり、ましてや地震の横揺れに対抗できるようなものではない。側壁は衝立のようなもので、道の延長としてのトオリニワに屋根を架けるための支えとしての位置づけしかない、という見方は、側つなぎ(丸太の梁)とモヤ(垂木を受ける副構造材)だけで本体と繋がっている。ということからうなずけるような気がする。ところが反対側の側壁も同じ造りであり、やはり説得力がない。人工物に神の造化に対するように不可思議で片付けられないとすれば、何らかの説明を要する。



北丹後地震(1927年)の記録写真
「断層上の網野駅官舎 南へ移動五寸」とある。「国立科学博物館地震資料室」ホームページより

 日本における科学的な耐震設計法は、大正13年改正の市街地建築物法に定められた、建物にかかる地震力を震度として数値化したのを嚆矢とする。その後、激震災害毎に基準が改められ、その集大成が現代も適用される1981年施行の建築基準法の新耐震基準である─これも科学・技術の漸進性と経済的制約というくびきから逃れることはできず、今後も変わるはずだが─。この120年の間に解ってきたことの主なものは、地震国日本の中でも地震が起きやすい地域とそうでない地域がありそうなこと。同じ地震でも地盤の状態で揺れ方が変わること。建物には木造、鉄筋コンクリート造、鉄骨造などの構造種別や固い、柔らかいの構造形式で固有の揺れ方(固有周期)があること。地盤の揺れ方と建物固有の揺れ方が近いと、共振して建物に大きな被害が出ること。などである。そして被害を回避するための設計法としてはまずは軽くすること。建物平面の中心(四角い建物であれば四つ角を結ぶ対角線の交点)と強さの中心が近いこと。ある部分だけ強かったり弱かったりしないこと、つまり壊れるときには全てが一緒に壊れること─むろん人命尊重から柱や壁が最後までがんばることは必要─。建物には強さだけではなく粘りを与えることが必要なこと。そして免震や制震などである。

京町家の架構

 さて町家であるが、今の木造に比べても軽いこと。奥行き方向(梁間方向は)は両側壁が柱と土壁で構成され大黒通りが柱・梁の架構とハシリ、座敷間の柱と土壁で構成され、間口方向はオモテとウラの袖壁と階段両端の壁を除き柱・梁で構成される。強さの中心は幾分奥にずれるがほぼ平面の中心に近い。間口方向と奥行き方向の強さには差はあるがそれぞれの方向において均質で強さのばらつきはない。強さは木材、特に柱が曲げ強さを発揮し、粘り強さは柱・梁の接合部と土壁が担う。そして当初の設問の側壁の不思議は、柱が折れないのは土壁があるからで、かといって土壁は柱・梁の架構がもつ強さを上まわるものでなく、側柱と一体で粘り強い壁を構成している、ということになる。そして町家は現代の在来木造軸組構法に比べても、ゆっくり揺れる(0.5秒前後で鉄筋コンクリートの約2倍)ため、直下型のガタガタ地震には比較的安心だが、東海や東南海などのゆっくり、大きくゆれる地震には損壊を受けやすい。しかし粘りがあるため一気に倒壊しない─逃げる間がある─、ということになる。
 従って改修にあたっては上記の町家の構造特性を損なわないことが大切である。すなわち壁に筋違や合板類を入れたり、モルタルやプラスターを塗って固い部分を作らないこと。2階床に合板類を張り詰めて固い床版にしないこと。架構の粘り強さを保証する仕口や継手をきっちり補強すること。柱の曲げ強さを損なう根腐れや断面欠損は根継ぎや添え柱で補強すること。荒壁の貫やエツリの外れや緩みを補修すること、などであり、すなわち元の状態にすることである。
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