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京町家作事組
京町家の技術 その四

左官の由来
佐藤嘉一郎(作事組 顧問) 


 「職人」という文字と言葉を、昨今よく目にし、耳にする。職人と言われることに若干抵抗があり、できるだけ表に出さないようにしていた私の若い頃と、五十年、半世紀の年月の流れを感じる。自分の手の技でものを作り、加工して立派な製品として人々の使用に供することを生業(なりわい)としている人、これがすなわち職人の総称である。

 建設関係に絞っても大工、屋根屋、建具職等、その職名を聞いただけで、どんな分野の作業をする人かすぐわかるほど多種多様な職人がいるなか、わが家業の「左官」という呼称も現在では「壁を塗る職人の仕事」という意味が定着し、全く抵抗なく使われている。ところが、その名前の由来は、と尋ねられると返答ができない。学界の先生方や業界内部の親方衆でもこれに対する確たる定義は不明確である。

 古い記録によると左官の古名として「可部奴利(かべぬり)」「土工(ツチノタクミ)」泥工、石灰工、白壁師、壁大工、壁塗などの呼称が使われていたらしい。「左官(さかん)」という言葉がはっきりと古文書に残されたのが、慶長年間の宇都宮大明神云々の記録からで、続いて元和年間の本光国師日記の中に「さくあん」が登場する。江戸初期はまだ「左官」と旧名称の「壁塗り」が混用され、京都左官組合蔵の古文書では、慶長、元和の年号が入ったものにはまだ「壁塗り仲ケ間(なかま)」として書かれており、「左官仲ケ間組」の古文書が残るのが元禄年間からである。

 以後の町奉行宛各種の古文書では「左官」という名が主体となって「壁塗り」は使われなくなるが、一部に「遍津(へっつ)い塗」という職名が現れ、左官職と工事領域のことで争論を起こしている記事がある。当時は各家庭に必須の炊事用の「遍津(へっつ)い竈(かまど)」の製作や塗り替え補修工事は、左官壁塗り工事とは区別されていたことが判るが、程なく両者が合併し、以後「左官」として現代に至っている。

 本来の「左官」は辞書にある如く、宮廷工事の儀式の際、無位無官の職人では宮域内に参入できないので、臨時に仮の官位を、公家の慣習に準じて「守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)」の階級になぞらえ、壁塗りに「目(さかん)」の名称を与えたとか、工事に際して褒美を賜る順が大工、屋根、錺(かざり)、壁塗りと四番目であるという慣例から「サカン」としたと説いているのが、ある程度説得力もあり一般にも理解されて今に至っているようである。また左官に対して「右官」の存在を尋ねられることもある。左右の名称に当たるものは平安期の大臣家や近衛府や舞楽等にあるが、右官が存在したかどうかは不明である。

 何れにしても「左官」は、四百年の歴史ある職名で全国的にも定着しており、この度の大震災以来、伝統工法のもつ免震性能における塗壁の重要性に注目が集まっている。今後塗り壁工事の続く限り「左官」の呼称は伝承されていくことだろう。「左官」という言葉に誇りをもちたいものだ。