◎12月の報告
◎1月の予定
[作事組13年目の年を迎えるに当たって] 一陽来復 新年にあたり皆様の無事ご多幸を祈ります。 昨年2011年は、歴史に刻むべき大災害の年になりました−復興が成るまでの間は歴史に刻み続けなければいけませんが−。それは、今までも指摘されてきた近・現代のやり方の破綻と限界を、まざまざと見せつけられるできごとでもありました。120年前の濃尾地震や115年前の明治三陸大津波の被災写真に見る、倒れかかった民家や堆積物は瓦礫ではなく、また使える材料でした−むろん今回の被災者にとって堆積物は単なる瓦礫ではありませんが−。気仙沼の茅葺き民家の尾形家の方は、津波警報が出たとき“津波の時は雨戸を閉ててから逃げろ”という伝承に従ったところ、家が津波に浮いて流され、電柱に当たって停まり、津波が引いた後には屋根だけのような状態でした。しかし屋根の下に家財や古文書、そして建材が残ったと云うことです。被災した後の復興まで織り込んである伝統構法、あるいは伝承の優位性を、声高に訴えなければいけません。 作事組は12年前、建築生産における役割も立場も異なる職人と設計者の協働による、町家を直して守るための違反建築集団を標榜するという、常識を外れるスタートを切りました。それは当時脚光を浴びつつあったものの、法律、制度、経済、慣習、技術的には非常識であった町家の再生を実践するためには、ありきたりの組織とやり方では太刀打ちできないと考えたからです−未だにそのような機関は他に類を見ません−。そして当初の仲間たちの志は、“自分たちではなく次代の職人のために”でした。それから足かけ13年、所期の目標で達成ないしは手がけられたものもありますが、残念ながら未だに町家が常識にはなっていません。また、作事組の技も、もうちょっとのところで町家に達していません。 “児孫のために美田を買わず”とはいうものの、胸を張って次代に手渡すためにはプラスマイナス0、すなわち町家を常識にしておく必要があるでしょう。そのためにはまず、個々の職方が町家に達すること、すなわち作法書の作製や棟梁塾で検証した伝統の技の合理性を再認識して今の仕事の中に再生すること、そしてなにより作事組の特性である、目的のために立場を超えて助け合い、力を合わせること−原点に返って−。「町家が常識の世」を正夢にするために。本年も倍旧のご協力をいただきますようにお願いします。 (代表理事 梶山秀一郎)
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