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京町家作事組
シリーズ「作事組の仕事」・その12

楽町楽家'08事務局オープンハウスを通して

吉田奈都子(京町家作事組 事務局)

 今年の楽町楽家で、作事組は土・日2日間を3回、計6日間に渡り、事務局としてお借りしている京町家のオープンハウスと、全3回の会員の職方によるミニレクチャー、そして1日だけでしたが、作事組が改修に関わった町家のオープンハウスを行いました。各回大勢のお客様が見学に訪れて下さり、例年と趣向を変えて行った作事組の活動紹介の展示や、本藁床の畳体験コーナーを興味深くご覧いただけたかと思います。こちらとしても普段なかなか接することのできない、京町家を取り巻く様々な方々とお話をすることができ、大変充実した期間となりました。



会員職方によるミニレクチャーの様子

 今回、訪れるお客様から「住みたい町家を探しているのだけど、なかなかイメージ通りの町家がなくて……」という声を多く耳にしました。目に触れる町家はどれも多くが大幅な改造を加えられたものであり、皆さんがイメージする「町家」とはどれも違う、ということなのだそうです。町家を探している人の中には、雑誌で取り上げられるような、規模も大きく、当時の風情をそのまま残しているような町家が絶対!という方も多くいらっしゃるようで……残念ながら、あのような素敵な町家は、住み続けてこられた方々の努力のたまものであって、そこらへんにゴロゴロと転がっているわけではないのです。また、「オープンハウス」という命名に、販売物件の展示会をしているのだと思い、入ってこられる方も少なくありませんでした。勘違いさせてしまって申し訳なかったのですが……でもその時気がついたことは、本来、家とは、「買う」のではなく「作っていく」ことではなかったか、ということでした。大切な町家を「買う」のではなく、「作る、保つ、生かす」、ということ……難しいことかもしれませんが、そこは皆さんの想像力をフルに働かせて、イメージする町家に「ご自身で」再生していっていただけたらと思います。そして、なかなかうまくいかない、手段がわからないので前へ進めない時、それを少しでも手助けする仕事を作事組でやらせていただくことができたら……と思うのです。

 訪れるお客さんの中には、見学に来た親御さんに連れられて来た、小さいお子さんもたくさんいました。事務局の2階へは、少し暗いコミセから、箱階段をよじ登るように上がっていかなければいけないのですが、〈その先に何があるのかわからない好奇心〉を原動力にして、「転げ落ちるよ!」というお母さんの心配をよそに、ひょいひょいと上って行きました。お父さんが頭を打ってしまった格子戸も得意げにすいっとくぐり抜け、畳コーナーでもごろごろとリラックスしてしまっていて、小さな子供の方がずっと、町家での過ごし方を知っているような気がしました。ある一人の小さな女の子が言いました……「ここ、お正月の匂いがする!」……と。里帰りしたような、懐かしい、安心する空気がここにはあったのでしょうか。ニコニコしたかわいらしい女の子にそう言ってもらえて、家も嬉しかったのではないかと思います。
 毎週日曜には、会員の専門職方によるミニレクチャーを行いました。特に「上手に改修!」というテーマを掲げた工務店の棟梁のレクチャーの回では、大勢のお客様が見えられました。皆さん熱心に耳を傾けていて、自分の大切な家のために、悩まれている方が多いのだなと改めて実感しました。
 今回のオープンハウスで、予想外に多かったお客様が、子供連の若い家族と、大学生でした。土壁を自分で塗りたいのだが、どうすればいいかと熱心に聞いている若いカップルがいました。左官屋さんは丁寧に教え、「とりあえずやってみぃ、失敗したらまた聞けばいい。そういう時のためにプロがいるんだから」という、あたたかいやり取りもありました。

 話が横道にそれますが、先日ある大学で作事組の会員が京町家についての講義をさせて頂いた時のこと、最前列で真剣な眼差しで聞いている青年がいました。授業が終わるや否や、教室を後にする他の学生たちとは逆に、彼はこちらに向かって歩いてきて、「町家に住みたいんですが」と私達に質問を浴びせてきました。その眼もまた真剣で、若くして町家に興味がある人も増えていることに、心強さを感じたのでした。
 町家の構造を無視した、中途半端で危ない改造に、眉をひそめる事例も多いかもしれません。でも町家というのは決して「特別なもの」ではないと思うのです。うなぎの寝床と称されるがごとく、入り口が大変狭くて奥が深いもの、なのは確かで、私もまだまだ勉強中です。しかしその一方で、町家というのは、奥に広がる、あたたかい、大変寛容な木の家であり、人と人とのコミュニケーションを必然的に生み出し、育んできた場であり、日本人としての“心”のやり取りの原風景だという気がします。それに改めて気が付かせてくれた初夏のひとときでした。

(2008.7.1)