• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家作事組
町家再生再訪・その5

胡乱座

(担当:アラキ工務店、NOM建築設計室)<第1話>
 胡乱座(Uronza, traditional Kyoto-style House)は静かに過ごしたい人に適した宿である。家の前に到着すると、あるじAの大橋さんが気配を察して出迎えてくださった。中へ入るとトオリニワに宿泊客の物と思われるカラフルなスーツケースが二つ置かれている。
 お座敷の前に掲げられた扁額は、大徳寺の名僧が揮毫された書で格調が高く、辞書にある胡乱座という言葉の意味と宿の名前にこめられた意味を考えながら、できるだけ自然に書の下をくぐって庭に面したお座敷に座った。冬の弱い光がうっすらと差し込み、机の隅にある木彫の小品にも陽のぬくみが感じられる。
 「時々こういうものも作っています。」
 「可愛らしい。なめらかで…何のかたちでしょう、これは人魂ですか」
 「ナメクジです。庭の工事の後うじゃうじゃとナメクジが出てきてビックリ。ありきたりを好まない妻(あるじB)が『宿のマスコットはこれだ』と決めました。」
 ナメクジ。そう言われると名刺にもHPにもカラフルなのが踊っている。表の郵便にはりついていたのも、のれんに白く染め抜かれた滴るような生き物もナメクジだった(@_@;) !私は大橋さんに向き合うと、昔ナメクジに塩をかけたことがありますと懺悔をせずにはいられなくなった。大橋さんもナメクジが好きなわけではないと仰る。考えてみるとそれは供養なのかもしれない。
 懺悔してしまうと気が楽になり、ここでは紹介できない面白いお話も伺った。烏羽玉とお薄のおもてなし、柔和なナメクジ、お家を隈なく案内してくださったときには流石の立ち居振る舞いで勿体ないほど安らぎを与えてくださった。「あるじAはそれなりに親切ですが、あまり愛想が良い方ではありませんので、あらかじめお詫び申し上げます」というホームページの自己紹介文が可笑しみ深く、町家の魅力について寄せてくださった文章は多分に思索的。これから数回に分けて連載させていただきます。

■ 町家との馴れ初め―消費社会に抗って
 それは15年前の話である。その時もうすでに「町家でナントカ」という本も何冊か出版され町家ブームはスタートしていた。しかし私と妻は「町家」というものはどういうものかということはほとんど知らなかった。「鰻の寝床」「夏は暑くて、冬は寒い」とよく耳にする言葉くらいの知識しかなく、実際に見たことも体験したこともなかった。
 さらに話は遡る。使い捨てや直して使うより新しく買い替える方が安いなどという現代の消費社会に辟易していた二人は旅に出ることを企てていた。そして旅から戻ったら何をするかを話し合った結果、まとまった意見がゲストハウスの運営であった。2001年から2002年にかけては、東京や沖縄にゲストハウスというものが出現し始めたころで、京都で「京町家を謳ったゲストハウス」はまだ数軒ほどだった。
 最初から町家を探していたわけではない、物件を探していくうちに一軒の町家に出会い、その佇まい、空気、新しいものにはない深みに触れ、この伝統的な建物を直してゲストハウスにしたら面白そうと思ったのだ。
 もともと二人とも新しいものよりは古いもの、買い替えよりはリサイクルやリメイクをモットーにしていた。調べれば調べるほど町家は面白かった。自然素材で作られていること、解体してでた建材は捨てるのではなく使えるものはリサイクルして使っていること、家族や地域とのあり方、建築技術、京都の気候や文化に沿った建築様式など。知れば知るほど、町家でゲストハウスをオープンさせて、その面白さがゲストに伝わればいいと思うようになった。

■ 作事組と出会う
 予算的な問題もあり、最初はできるだけ安く直してほしいと安くやりまっせ工務店に見積もりを依頼した。しかし待てど暮らせど見積りの返答はなく、痺れを切らせて問い合わせると「直してもそのあとの保証はできない。壊して新しくする方が早くて安いですよ」の返事。町家を直して使うことは無理なのかと頭を抱えた。安いということはどういうことなのか今なら分かる。それは家でさえ「建て替え」という名の使い捨てを意味する。そして直すには技術も時間も費用もかかるということなのである。しかし、当時は安いことに未練があった。
 「これ、なんて読むんだろう?つくりごとぐみ、さじぐみ、さごとぐみ…?」インターネットで町家を探している時に見つけたホームページ「京町家作事組」。作事(さくじ)というのが「家屋などを造ったり修理したりすること。普請(ふしん)建築。(『広辞苑』)」という意味だと知ったのは、それからずっと後のことだった。どうやら町家の改修工事についてはここに聞けばいいらしい。我々は安いことという呪縛から逃れようと、その作事組に助けを求めた。そして当時の事務局長田中さんの「大丈夫ですよ」に安心し、もう100年住めるように改修するというコンセプトに我々は目を輝かせたのであった。

■ 胡乱座開業―すべては長期旅行のために?
 ちょうどその頃、同業の布屋さんが作事組で改修工事をされ(しかも設計担当が同じ)、華やかに開店された。その布屋さんの開業を横目に、我々は改修した町家を友人に託し、本来の目的であったプランのない長期の旅に出た(バックパッカーと呼ばれる人たちの旅のスタイルである)。ユーラシア大陸を横断し、モロッコに渡り最後はシベリア鉄道の列車に揺られながら帰路に着いた。20ヶ月の月日が流れていた。(フェリーで富山港に降り立ち、まず驚いたのが日本の物の多さと鈍行列車の速さだった。)帰宅した町家は友人たちに守られ無事であった。開業には追加工事が必要だったが、布屋さんが開業の前例を作ってくれていたこと、ゲストハウス自体がまだ少なかったこともあり、行政の審査は滞ることなく済み開業に至った。(それでも営業許可取得までには2か月ほどかかった。)

(2017.3.1)