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京町家作事組
町家再生再訪・その7

胡乱座

(担当:アラキ工務店、NOM建築設計室)<第3話>
 2005年に創業した京町家の宿・胡乱座。以来町家に住み、沢山の人を迎え入れてきたあるじの大橋さんに町家の魅力について語っていただきました。前号・前々号を未読の方はそちらもあわせてご覧ください。

■ 町家の魅力について
 まず、100年も200年も前からそこに存在するという事実自体が大きな魅力だと思う。私たちは“そこ”で、先人の知恵や創意、工夫に触れることができ、生活の中で生まれた文化や習慣を学んだり感じることができる。また風土に合わせた建築様式が、自然と生活を調和させている。建材が天然素材なので、古くなり解体しても、使えるものは他の町家の補修や次に建てる町家に使うことができる。天然素材ということは土に還すことができるということでもある。すべてがリサイクル可能な家であるということも魅力のひとつである。
 空気感、色、匂い、暮らし、素材など感じる魅力は人それぞれだが、町家が好きな人たちは「落ち着く」「癒される」など、町家の醸し出す雰囲気を魅力にあげることが多いかもしれない。しかし私にとっては、町家に住むことによって学んだり、躾けられたりという生活に、より魅力を感じている。
 家やマンションを建てる時に、現代人は快適さを追求し、様々な方法を駆使して、環境(建物)を人間に合わせる努力を惜しまないように思う。技術が進み、その方法は大きく変化してきた。人々の快適さの追求は留まるところを知らないようだ。しかし、環境を人間に合わせるのではなく、人間が環境に合わせる努力をする、少しストイックではあるが、私にはそれが楽しい。暑い時は暑いなりに、寒い時は寒いなりに人間が自然に適応するように工夫して生活する、便利さだけを求めるのではなく、当たり前のことを当たり前に感じ、不便さを感じながら生活することも町家の魅力だと私は思う。

 昨今、町家や古民家の再生・活用が全国的に展開されているが、何に魅力を感じ、何を残したいのか、なぜ活用しようとするのかと私は敢えて尋ねたい。昔の主流が新しいものに取って代わられ、希少になったために、逆に目新しく感じられ、収益が上がるものとしての活用が流行になったように私には見えるからである。失われつつある生活文化や習慣、知恵、工夫を顧みようとしているのであれば素敵なことだが、利益を得るためだけの町家の活用は“再生”と呼べるのだろうか。つまり、時代が変わり流行が去った時に、利益を生まない町家はこれまでと同じ運命をたどるのではないかと私は案じている。
 元々の姿の町家に戻す改修は少ないように見受けられるが、町家を改修して住もうとしている人たちは、どのように改修したいと思っているのだろう。土間は駐車場に、通り庭はなくす、畳がフローリングに、さらには床暖房、そして当たり前のようにエアコン、サッシ窓など、高断熱で高気密を目指す改修。今建てられている家やマンションとそう違いはないと私は思ってしまう。看板建築から町家らしい昔の外観に戻す改修も、その昔、町家の外観を古臭いと感じてオシャレに作り変えたのが看板建築だという話を聞くと、今の外観改修は“新看板建築”だと、へそ曲がりな私は言いたくなってしまう。
 しかしながら、これは仕方のないことかもしれない。町家や古民家は80年〜200年以上前に建てられている。当時の気候や文化、文明、人々の思考や生活様式に合わせて建てられたのであり、現在の気候や文化、文明、人々の思考や生活様式には合わないだろう。したがって現代に生きる人に合わせて作り変えられるのは当然の成り行きであり、建てられた当時の姿には戻らない。そして、住み方が変われば生み出される文化や習慣、思考、知恵や創意工夫も変わる。そういう意味では過去の姿のままの町家は生き残れないのが現状であり、過去に囚われすぎては町家や古民家に未来はない。現在とは“形を変えた過去”であり、未来とは“形を変えた現在”なのだ。つまり過去を踏まえつつ変化していかなければ未来にはつながらないのである。守るべきものは守り、残すべきものは残す、それが伝統と言われるものになると私は思う。
 胡乱座に滞在される日本人のお客さまでさえ、古い家屋の構造上の特徴(防音効果がない、床が薄いなど)を理解した過ごし方や心配り、畳、壁、引き戸の扱い、歩き方ができる人は少ない。それは古い建物で暮らした経験がなく、学ぶ機会もなかったからであろう。そんな古い建物での暮らしを体験し、学んだり、感じたり、考えたりできる空間として胡乱座が存在すればいいと思う。なくなりつつある過去の文化や習慣、工夫や知恵を多くの人が知ることで、はじめて伝統を未来につなぐことができるのではないだろうか。
 繰り返しになるが、町家の魅力は、ただ単に「やべー」「かっけー」「かわいい」などの見た目や、「懐かしい」「ほっこりする」「癒される〜」などの雰囲気だけではなく、そこに刻まれてきた文化や習慣、知恵や工夫を肌で感じられる空間が、誰の手にも届くところに存在すること自体なのである。

(文:胡乱座あるじA 大橋英文)
(2017.7.1)

(取材後記)
 畳の上を摺り足で歩くとき、背筋が伸び、足元に意識が向かうと同時に浮揚感につつまれる。町家の空間と調和していることで得られる感覚。指先に意識を向けることで、長いあいだ和服を着るのが日常であった日本人の洗練された所作が自然に顕れてくる。

(取材:京町家作事組事務局 森珠恵)