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京町家作事組
町家再生再訪・その9

胡乱座

(担当:アラキ工務店、NOM建築設計室)<第5話>
● 意思のある生活
 私にとって、町家での暮らしは私の表現である。現代風にほとんどを作り変えるのではなく、昔からあるものの中で必要最小限の変更(瓦、土管、水回り)を施して住むこと、自然に合わせ調和して暮らすこと、消費至上主義社会に振り回されずに生きること、生きていく上での責任となぜこれを選択したのか、そこに生じる義務を意識すること。これらを意識して暮らすことは簡単なことではない。何が必要で何が余分かを考え、目先の欲ばかりを求めず、根本的な原因やずっと先の結果を考えた上で、自分はどうしたいのか、なぜそうしたいのか、どうすべきなのかを考える。過去の責任が現在の自分を作り、現在の責任が未来の自分を作るということである。生きるということは、生きる責任を負う義務があるということなのだ。

 人は快適さや便利さを求める。それが悪いわけではない。そうやって人は文明を発展させてきた。さすがに町家以前の暮らし方に戻ることは容易ではない。しかし、使い捨てや、修理ではなく買い換え、壊れていなくても新製品に買い換えるという消費至上経済が、人の便利で楽を求める欲を利用し、罪悪感を持たなくても済むように、大量生産大量消費を促している。消費することで経済を回すことの何がいけないと言う人もおられる。それはそれで間違いではない、そういう考えの人もいて当然で、批判や否定をしているのではない。違う価値観を理解した上で、自分の判断で自分の責任において物事を選択すべきであり、何も考えさせず選択させられていることに気づかないことを危惧しているのだ。踊っている自分を、自分で踊っているのか、自分に踊らされているのか、他人に踊らされているのかを理解しているかどうかでは、自分の暮らし方への意識はかなり違ってくる。

 そんな自己満足的な思索をしながら、私はこの町家で日々を生きている。

 胡乱座は、宿泊施設というより住居としての町家であり、120 年前からここに存在する建物で寝るというインスタレーションだと思っている。水回り以外は本来の姿に戻すという形で改修工事を施し、エアコンは設置せず、シャワー室の内扉以外はアルミサッシも使っていない。また、自分のことは自分でやる、他のゲストへの気遣いをするなど、自分の行動への責任と義務を意識してもらうなど、規則やマナーにうるさい宿だ。そして、お客さまを“ 神様” 扱いはしない。「賓主歴然」、主客の区別こそすれ対等の関係として、おもてなしをすることを心がけている。

 減りつつある京町家で、体験したり、考えたり、感じてみたいと思われたら、胡乱座に宿泊してみるのも一興かも。もしお客さまの価値観にほんの少しでも違和感や疑問が生じれば何よりである。

 最後はちゃっかり宣伝でした。あしからず。

(文:大橋英文)
(2017.11.1)


(取材後記)
 2月にお茶室披きにお招きいただいて、ご近所の皆さんやご友人の方々にまじってお茶を一服いただきました。炉のそばには変木が据えられていて、襖には満開の桜。 変木は皮付きの桜の丸太で、一気に春爛漫の野山へ飛ばされたような景色。前触れに待合の掛け軸で鶯の声を聴き、お茶、お菓子、お茶?、お棗もすべて桜づくしで、袴姿の大橋さんは桜の精ではないか?と思われました。桜の襖と反対の西側に露地の緑があり、鉢で暮らす3 匹の大きな金魚が鮮やかな模様でいっそう気分が華やぎました。お茶室造作とあわせて通り庭のお手洗いを新しくされて、清々しい風が通っていました。

 8 月に岐阜県北方中学の社会科の先生から、京都の町家住人にありのままの生活実感をお聞きして、生徒たちに近畿の歴史的景観を教える材料にしたいというご相談がありました。北方は戦災で焼けたが、中学校の裏の寺だけは残っていて身近にある。岐阜城のふもとから復興整備をしようとしているが、なぜ整備しようとしているのか、お土産店ばかりが並ぶ場所にしないためにどうすればよいのか、生徒たちの理解につながればという趣旨でした。そこで大橋さんはじめ、町家にお住まいのTさん、Uさん、Iさんにご協力いただき、座談会をすることになりました。最後に少しだけご紹介します。

● いまも京都の町に住みたいと言える理由は何ですか
(Tさん)親から受け継いだ家を自分の代で断ち切りたくないという思いだけなんですが、息子が「残す」と言ったので家を直す決断ができました。

(Iさん)京町家は子供の頃からの家ですから私にとっては当たり前なんですが、若い人にとっては全く新しい記憶装置なんですね。

(Uさん)江戸時代まで全国に小京都と呼ばれる町が多くつくられたのは、京都の町が庶民にとって実用的で、合理性が高く、洗練され、景観や建物の美は善につなが ると広く認められていた証拠だと思います。京都で生活していると縄文までさかのぼり、高床式倉庫や貴族の寝殿造りといった建築史や生活文化の長い歴史を感じられます。オリジナリティは歴史から生まれ一つの起源となるのです。

(大橋さん)毎日4 時間ほど家の掃除をするなかで、町家に住んでいないと忘れてしまう木の材質、畳の掃き方をおさらいしています。たとえば敷居は踏むなという教えは、建物を傷めないようにという理にかなった知恵で、建物の構造を知り、大切に扱えば、建物が長持ちするからそうするので、町家は知れば知るほど面白いのです。

(取材・構成:作事組事務局 森珠恵)