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京町家作事組
町家再生再訪・その10

「大井邸」

 京町家情報センターの前の代表でいらっしゃる大井市郎さんから、2017年9月に六角醒ヶ井の借家の土間の補修と防蟻処理についてご相談いただいたのを機に、借家のはす向かいにあるご自宅を訪ねました。大井さんは1930年生まれの87歳で、旧制京五中から京都工業専門学校(現・京都工芸繊維大学)を経て、工務店で1年半ほど木造の仕事を経験した後、建設省に入省され、大阪の近畿地方建設局に在職中、一級建築士の資格を取得し、技官として勤務、52歳で早期退職したあと、労働省の雇用促進事業団に定年まで勤めたあと、建築設計事務所勤務、民事調停委員を経て、旧総合資料館(現・京都学・歴彩館)等で古文書読解を学び、『越後突抜町 文政・天保 町議録』を編纂されたというご経歴の持ち主です。

 今回は作事組の改修事例というよりも、大井さんに取材をさせていただきました。

○ 大井家の暮らしと町家に対する思い
 祖父は宇治のお百姓の家、或いは庄屋の家に生まれて、曾祖父、祖父と二代続けて大井家に養子に迎えられ、祖父の代まで醒ヶ井六角のこの家で米屋をしていました。私は生まれたときからずっとこの町家で暮らしてきましたが、家が米屋だったとき、表にはミセの土間に米つき場と売り場と帳場があり、帳場は畳の間と連なり、土間は通り庭としてずっと奥まで続いていました。奥には風を遮る建具もなく、お袋の手はいつもあかぎれで可哀そうやったから、いずれ結婚したら通り庭の土間は温かくしようと思っていました。昭和34年に結婚して、そのときに通り庭に床を張り、おくどさんを潰して新しい流し台を据えました。そのとき火の元はガスになりましたが、それまでは焚き木と藁を使っていました。米屋をやっていたからか、藁が沢山あってお米は藁で炊いていました。当時は煮炊きの湯気と煙を上に逃がす大きな火袋と煙突があり、立派な準棟纂冪が屋根を支えていました。その後、新しい台所をつくるときに件の小屋組も取り払ってしまい、二階にも床をはりましたが、よかったのかどうか。

 私が建築の仕事をしはじめたころ、1950年代半ばになるとニュータウンが作られ、最大効率の設計が追及されてきました。明るくて温かくて効率のよい建物、それに引き替え、我が町家は暗くて寒くて効率が悪い。何とかしよう。建築には色んな考え方がある。借家の改修は作事組にお願いしたけど、この家は自分の考えで改修しました。しかし実際は右往左往しました。外観は変えんとこうと妻も言っていましたので、二階は水仕舞が心配で虫籠窓から引違いのガラス戸にしましたが、表格子はそのままの外観を残しています。

 妻は北大路の小山上内河原町で育ちました。育った家は町家ではなく郊外型の住宅と思っていました。結婚をしてこの古い大井の家に住んだわけですが、あまり抵抗もないらしく暮らしていました。亡くなる少し前「大井の家が好きやった」と言っていました。何のことかよく解らなかったのですが、或る日、妻の育った家の平面図を書いてくれる人が居り、それを見るとそれはまさに「町家」でした。これで「大井の家が好きやった」の意味が解ったと思いました。郷愁でした。

○ 地域について
 子供の頃は楽しい遊びが色々ありました。紙芝居や空也堂の六斎での狂言「土蜘蛛」が面白かったし、餅なげのお餅をもらったり、鯛焼きならぬ亀焼きを買って食べたりして。妻のお家では、外でお菓子を買って食べるなんて信じられないことでした。そんなことはお行儀が悪いからと厳しく躾けられて育ったようです。

 家の付近一帯が小堀遠州屋敷跡で、はじめは妻と私の共同製作の駒札を表の軒下に掲げていました。それから後に小堀遠州顕彰会の方から、いまの案内板を掲示させてほしいと申し入れがあり、そちらを掲示しています。

○ 借家について
 斜向かいの借家はこの家とほぼ同じ造りです。もとは父の妹とお婿さん、つまり私の叔父さん叔母さんにあたる人が、そこで米屋を開き、暮らしていました。子供がなくて養女さんをもらわはったんですが、養女さんも早くに亡くなってしまいました。私がもっと親しく付き合っていたらよかったと今頃、くやんでいます。相続の段になってどこに居られるかも知れない養女さんの実のお母さんが正規の相続人と解りました。それはおかしい、なんとかならないかと思い、司法書士さんに相談して生前贈与してもらう方向で動き出しました。実のお母さんがどこにいはるのか探し出して、話し合いの末にいくらかお支払して息子の所有となりました。

 2003年に作事組に頼んで改修し、竣工後6〜7年は「子どもと川とまちのフォーラム」事務局長の小丸さんが入居し、環境学者で政治家の嘉田由紀子さんらが出入りしていました。いまは変わって、大学の先生がご家族と住んでおられます。いい人が住んでくれているのでよかったなあと思っています。


大井邸

大井さんとお地蔵様

(取材後記)
 帰り際に遠州煎餅(湿っていても美味(笑))と珈琲をご馳走になり、それからお庭に案内していただきました。井戸のあったところに亀2匹。もう冬眠の季節、枯葉を上にたっぷり被せてやるんですと仰って、愛妻家でやさしく穏やかな人柄が伝わってきました。  2003年借家の改修については「空き町家をまちづくりの拠点に …中京・Oi邸」をご参照ください。 http://kyomachiya.net/sakuji/kaisyu/07.html

(取材・構成:京町家作事組事務局 森珠恵)