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京町家作事組
作事組の職人さん・その1

左官職人

(さくあん)
 今回より新しいシリーズとして、作事組会員の会社に所属して現場で働いてる職人さんからお話をお伺いする事となりました。さくあん萩野理事に取材のご相談をし、Iさんに取材を行わせて頂く事になりました。

◎ 「女性の左官職人Iさん」にインタビュー
さくあん職人・Iさん
さくあん職人・Iさん
 Iさんは、北海道出身の30代。現在京都市内にいる3人の女性左官職人さんの1人です。
――職人になった動機は? 左官を選んだのは?
 大学(工学部インテリアデザイン系学科)在学時(20歳)、姫路城の左官工事をテレビ番組で見たのがきっかけです。
――なぜ「さくあん」に入られたのですか?
 何回も姫路城で作業する左官会社に弟子入りをお願いしたが女性だからと言う理由で断られ続けました。その後、インターネットが普及して自分で情報を探していたところ、京都の左官職業訓練校に6ヶ月通うと京都府の左官組合に職人として紹介してもらえる事が分かり、入学しました。左官職業訓練校の校長先生にも、職人になるよりも指導員になる事を薦められましたが、強い意志を持って左官組合に現場の仕事を紹介して頂き、6年越しの想いが実って「さくあん」に就職しました。
――それまではどうされていましたか?
 大学在学時から左官職人に憧れていましたが、大学卒業後は生活の為に北海道で一般事務を行っていました。
――左官の仕事をされて思うこと、楽しいところや大変なところはどんなところですか?
 職人になって6年が経過しますが、左官という仕事が面白いです。力仕事などは勿論苦労する事はありますが、塗っているその瞬間が面白いです。常に覚える事があり、季節や材料によって左官作業が全く異なるところは難しいといえるかもしれません。
――これからどのような事が出来そうですか?
 考えてたらキリが無い。目の前の仕事をしっかりとこなして行く事しか考えていません。
――女性的な視点として何か思う事はありますか?
 女性的な視点というものは全く持ち合わせておらず、逆に一番躊躇する質問となっています。単に職人という意識しか持ち合わせていません。
――左官と自分の相性について
 とてもぴったり合っている。大学で学んだ関係から、ものづくり系の設計やデザインに携わる事も一時は考えたが徹夜や不規則作業が苦手な為、太陽が昇ってから日が暮れる前に仕事が終わる職人作業はとても人間らしく相性が良いです。

――自分らしさを出す事よりも、職人として昔から伝わってきたものを正確に把握し、次の世代へしっかりと伝えていく事をしたいとIさんは言われていました。とても力強い意志を感じられました。

◎ 「さくあん」代表・萩野哲也さんインタビュー
さくあん・萩野氏
さくあん・萩野氏
――現在の左官と昔の左官作業の違いはどんなところですか?
 1つの仕事に対してかけられる時間が大幅に減少しています。昔は、下地からいかに長持ちするかを考えて作業をしていたため、1つ1つの工程に時間をかけていたが、現在は終了時間が決定されているので、その工期に合わせて作業を行う事が多くなりました。
 作業方法としては、明治・大正時代の作業方法の傾向を主体として作業しています。昔の建物には、昔から存在する材料を用いて、当時の左官方法に近いやり方で仕上げるように努力しています。
――これからどのような仕事をしたいですか?
 昔の仕事をもっと再現(完成)していきたいです。ただ、需要はこれからあるのだろうかとは思います。
――施主、設計者、工務店に希望することはありますか?
 家づくりの時間短縮に急ぎすぎていると感じます。家というものを商品として考えるのではなく、住まいとして考えてもらいたい。そうすれば、良い家づくりをする為にも工期が長くなる事が必要と理解してもらえるはず。
――どのような注文が嬉しいですか?

 急ぎすぎないこと。期間限定はやめて欲しい。そうすれば長持ちする家が作れて嬉しいです。
――女性職人を受け入れるにあたって悩んだことはありますか?
 真剣に心配したのは、トイレの問題。男性はどうにでも対処出来るが、女性は男性のように容易では無いので。しかし近年はコンビニエンスストアや公衆トイレの増加により問題が少なくなりました。

〈聞き手・細谷悦史(作事組事務局)〉

※ 会社メモ:さくあん(左官)/社員10名。代表の萩野理事が徒弟制度の丁稚奉公の後、30年ほど前に設立。現在は宇治を拠点とする。



(2009.7.1)