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京町家作事組
作事組の職人さん・その12

洗い・塗装

(イマエ)

今江清造さん
今回は、木造建築の洗いや塗装を手掛ける、株式会社イマエの今江清造さんにお話を伺いました。50年以上の経験を積み、京都府の「現代の名工」に選ばれる今江さんですが、同時に山伏として波切不動院(左京区)の住職を務めるという一面もお持ちです。

──「洗い」という仕事
 長年の使用で柱や建具、家具等に染みついた汚れを洗い落とし、木肌本来の美しさを蘇らせる技、それが「洗い」です。今ではあまり聞きなじみのない職業ですが、元々京阪神が主流の、江戸時代から続く伝統ある職能です。木部だけでなく、石やタイルも洗いの対象です。
 一口で洗いと言っても、汚れの種類や場所、木の性質等によって、手法や道具、薬品は様々に異なります。例えば、お寺でよく使われるケヤキ、トガ、マツといった木は、例えるなら男性の肌、硬くきめが粗いのが特徴。一方、神社で使われるヒノキやスギは女性の肌のように柔らかいため、強い薬品は使えません。
 伝統的な洗い方としては「あく洗い」があります。これは、灰汁を木に含ませ、ささらでこすって汚れを浮かせ、洗い流す方法。明治以降主流になった苛性ソーダ(劇薬)を使う時には、薬品を直接舌にとって濃度を確かめます。長い経験の求められる作業です。
 以前、京都の今宮神社で今江さんの手によって真っ白に洗い上げられた木肌を見て感激した人が、別の神社の洗いを依頼したことがありました。しかし、洗いあがった木を見ると、茶色い木肌のまま。どちらの現場でも、使われている木はヒノキでした。なぜでしょうか? 実は、材木の産地が違ったのです。今宮神社では木曽ヒノキが使われていたのに対し、その現場では台湾ヒノキでした。南方で生まれた木は、本来の色が褐色だったのです。単に漂白すればいいというわけではなく、素材の性質を見極め、本来の持ち味を生かすことが大切なのです。「今はハウスクリーニング、言いますやろ。あれは木造建築では務まりません。洗いとは全く別物なんです。」

──木造建築の減少とともに
 高度成長期の頃は需要の多かった洗いの仕事も、木造建築の減少とともに減り、職人も数えるほどになりました。家庭で使う燃料の変化も、洗いの仕事が減った一因です。薪を燃やしていた頃は煤汚れが避けられなかった家も、電気やガスを使い、さらに換気扇が完備された現代では、昔ほど汚れることもありません。洗いと共に塗装も手掛けてきた今江さんの会社では、現在は依頼される仕事のほとんどが洗いではなく塗装になりました。

──山伏としての姿
 25歳の時に叔父さんの経営する洗工店に入社以来、長い職人人生を歩んでこられた今江さんですが、今では仕事を息子さんにほぼ譲り、毎朝5時に起きてもっぱら勤行に励む日々だとか。そもそも山伏になったのは、交通事故に遭ったのがきっかけでした。「あれは昭和56年8月8日の10時45分」と、はっきり記憶に刻まれています。作業途中で雨が降って仕事ができず、現場からバイクで帰路についた時のこと。濡れた地面でスリップし、激しく転倒したのだそうです。その時、目の前にいたのが、なんと救急車。そのまま病院に運ばれ、大事には至りませんでした。この出来事がきっかけとなり、修験道の聖地である奈良の大峯山に登ったのが、山伏への第一歩でした。それ以来、激しい修行を積み重ね、山伏として最高位の号を授かりました。「家の汚れを落とす洗いと、修業によって心身にたまった穢れを落とす山伏とは、似たところがあるのかもしれませんな。」

──仕事に対する姿勢
 「終わった仕事は、一度振り返って反省する。そうやって進歩していくんやと思います」。これまで、伊豆長岡の旧三菱財閥岩崎邸や京都御所蛤御門、フィラデルフィアの日本記念館ロックフェラー財団の茶室など、名だたる現場を経験されてきた今江さん。その陰には想像を遥かに超える努力の積み重ねがあった事が測り知れます。

◎◎◎

 古く傷んだものに手を入れ、綺麗に蘇らせて長く使う。町家に共通する感覚が、ここにも見られました。「よく、木が黒光りしてると言って褒めたりするけど、あれは汚れで黒いんやで。女中さんがさぼってるんや」と、こっそり教えてくれた、茶目っ気のある今江さんでした。

聞き手:常吉裕子(作事組事務局)

※会社メモ:株式会社 イマエ
 所在地 京都市左京区二条通川端東入大菊町98

(2011.9.1)