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京町家作事組
作事組の職人さん・その23

左官

(翁左官工業)
跡継ぎの息子さんの仕事を見守る翁さん。
 今回は翁左官工業の翁美知男さんにお話を伺いました。趣味のトランペットもさぞお似合いだろうと思われる、ダンディな雰囲気の職人さんです。

――この道に入ったきっかけ
 親父が左官屋で、息子は僕だけやったから、小さい頃からそのうち継ぐものと思ってたんやろうねえ。高校卒業後、知り合いの神戸の左官屋さんとこへ丁稚見習いに行きました。その頃は家にも職人がようけいたんで、気ぃつこて仕事を覚えられへんやろ、というのもあってね。見習い先では朝6時に起きて自分で弁当詰めて、暗くなったら終わり、という毎日で、休みは月2回。当時、職人は1日と15日が休みでした。給料というより小遣いをもらってね。新興住宅地に家がどんどん建っていた時代で、木造新築の仕事が多かったです。

――町家に欠かせない左官仕事
 左官屋の仕事ってわかりにくいのかしらんけど、何が本職や?とよく言われます。昔から左官やってる人は、壁を塗るだけでなく土間もするしブロックも積む、タイルも貼る。五右衛門風呂を作るのは左官の仕事やったんですよ。赤レンガや耐火レンガを積み上げて、“半釜”いう鋳物の浴槽を入れ、その上にセメントで下地を作って15mm角位のモザイクタイルを貼る。今はタイル貼りはタイル屋さんに頼むことが多いです。高度成長期の忙しかった時代に職種が分かれましてね。それ以前にはレンガ屋さんというのがあって、銭湯の煙突を作るのが主な仕事。そのうち煙突も減り、レンガ屋さんがタイル屋さんやブロック屋さんに商売替えしていったみたいですね。
 他にも、古い町家のトオリニワに残ってるおくどさんや流しなんかは、左官屋が作ったもんですわ。十年位前に黒レンガのおくどさんを頼まれたんやけど、そのレンガを焼く窯が今はどこにもなくて困りました。昔はおくどさんのレンガを焼くための専用の窯があったんです。仕方ないから、瓦を焼く窯で特別に作ってもらいました。

数百年前に造られたお寺の土塀を修復中。
傷んだ部分だけを慎重に剥がし、
上から新しく土を塗る。
今は、元の土に後から塗る土が馴染むようにする
“水ずり”作業中。
――左官仕事の難しさ
 うちでは土の仕事もセメント仕事もあるけど、土をなぶることは昔に比べたら少なくなったね。今、土壁で仕上げるのは作事組の仕事ぐらいとちがうかなあ。土を塗って仕上げるには時間がかかるでしょ、そういうのが嫌がられてしまう。材料が山の土やから、通しでふるって、藁スサを混ぜ、水で練って、それから使うからね。手間もコストも全然違う。新建材なら袋で買ってきて水混ぜるだけやから。
 乾燥させるのにも時間がかかります。乾燥の条件は気温と風。いちばんいい季節は春と秋です。夏には夏の仕事、冬には冬の仕事をします。夏は表面ばっかりが先に乾いてしまうから、乾かしすぎんように下地にも水を多くする。冬は逆に乾きやすいように水を少なくする。そういう微妙な工夫が必要になるね。風が通る所と通らん所もあるし、1軒の家でも場所によって調整します。塗ったはしから扇風機かけて乾かすなんて論外やわね。土の強度を落としてしまう。自然乾燥で内側からじわじわ乾かすから、土の強度が増すんです。

――町家に住む人へ
 本来、中塗り仕舞い、つまり中塗りで終わっておくのは、2〜3年置いて木や土壁の収縮が落ち着くのを待ってから上塗りするため。中塗りのままやと、どうしてもアクが出たりします。土や砂に含まれる鉄分が湿気を吸って、サビとして出てくる場合があるんやね。風通しの悪い所は特に出やすい。中塗り仕舞いをしたお宅から、なんでこんなんなるの、カビが出てる、てよく言われました。カビとは違うんやけどね。カビは菌やから上から付着する。白っぽいカビの場合は掃えば取れるし、青や黒っぽいカビは、薬を使って落としてから塗り直します。
 やっぱり土壁には風通し、換気が大事。タンスの裏とか風が回らない所にはカビが生えやすいからね。昔は年に2回“衛生掃除”という日があって、畳を全部上げて空気を入れられたけど、このごろは何もかも置きっぱなしやから。昔は押入れの中も、全部しっくい塗ってたでしょ。調湿効果があるんです。今は見栄え重視でクロスやベニヤを貼ってるとこが多いけど、湿気を吸わんわね。そのへん気をつけんと。
 家は建てる時間を短縮してしまうと、それだけ粗悪になるんとちがうかな。町家の改修は目に見えなくても手間のかかる仕事が多い。工期を急がないでお施主さんとも直接話をしながら、職人主導で仕事ができたらと思いますね。

***

 穏やかで落ち着いた話しぶりの翁さんですが、左官屋には土と同じで粘りが必要…とのお言葉どおり、内に秘めたこだわりは人一倍とお見受けしたインタビューでした。

聞き手:常吉裕子(作事組事務局)

会社メモ
翁左官工業
京都市上京区小川通今出川下ル針屋町369

(2013.7.1)