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京町家友の会



 (十三)

 「普賢菩薩(ふげんぼさつ)はんて、どんなお人(しと)さんやろ。」
 て、善財(ぜんざい)が心に思うと、とたんに明(あ)こー明(あ)こーなって、そこわ、お釈迦(しゃか)はんのお居(い)やす、祇園精舎(ぎおんしょーじゃ)てゆーとこ。光の輪(わー)に包まれたお釈迦はんの根際(ねき)にわ、仰山(ぎょーさん)のお弟子さんが居(お)した。中でも、文殊(もんじゅ)はんが会わせてくれはった普賢(ふげん)はんてゆーお人(しと)わ、体中(からだじゅー)が、ラメの服着たみたいに数知れん光に輝いてた。
 「お待ち申(もー)しとりましたんや、善財(ぜんざい)はん。えろおしたやろにへたばらんと、よー長い旅を終えなはった。この仰山(ぎょーさん)のお弟子さんらの中でも、まだそないに学んでやおへん者(もん)にわ、わたしらのことわ名前かて教(お)せてもらえまへん。まして、わたしの恰好(かっこ)わ、能(よ)ーお見えやおへんのや異(け)なりーことどっしゃろ。おたくにわ、もー能(よ)ーお見えでござりますなー、善財(ぜんざい)はん。」
 そー言(い)わはったら、普賢(ふげん)はんの体(からだ)わ、ますます輝きだした。見ると、体中(からだじゅー)のキラキラする光のしとーつしとーつが、テレビみたいに、世界中(せかいじゅー)のあらゆることを映(うつ)してんのや。それは、善財(ぜんざい)がこれまで学んだ知識や行ないの何千倍、何万倍もの数(かず)の素晴しー世界やった。なんせ、その光わ、何億何兆、いやもっともっと余計(よーけ)あったんや。そいでも今の善財(ぜんざい)やったら、一目(ひとめ)見るだけでちゃんと自分の物(もの)にすることができた。テレビで言(ゆ)ーたら、同時(どーじ)に全部のチャンネルが見られたし、生番組の中え飛び込んでくこともできたんや。
 「おたくも、ご立派なお方(かた)に成らはったこと。ほな、今日(きょー)からわ、お釈迦はんの優れたお弟子、菩薩(ぼさつ)てゆーのにさしてもーたげまっさかい、一緒に学びもって、世の中のお人(しと)さんらの為にも、お気張(きば)りやしとくれやすか。」
 「へー、おーきに、どーぞよろしゅーお頼申(たのもー)します。」
 
 
(十四)

 善財(ぜんざい)わ、千度(せんど)お礼を言(ゆ)ーと、なんやほっこりして、久しぶりにガヤの林を歩いた。サラの木(きー)わサワサワ風にそよぎ、奥深(おくぶか)い池にさしかかると、蓮(はす)の花の上にわ、やっぱし仏(ほとけ)さんわ居(い)やはらへなんだ。けど蓮(はす)の花わ、ものすご生(い)きいきしててきれーやった。池も林も空も、見れば見るほど、前に見たことあらへんほど、きれーやった。ほんで、善財の心の中まで、なんや、はんなりした気(きー)になってきた。
「ほんに、仏(ほとけ)さんが見(めー)てくるて、このことやったんや。」
善財わ、にっこり笑ろーた。
こんで、善財童子(ぜんざいどーじ)はんの、長ーい長ーい旅わ、おしまいや。
めでたし、めでたし。

(次回は「あとがき」です)

※アンダーラインのある言葉は標準語の吹き出しをご覧下さい。