• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家作事組

魁京町家棟梁塾
平成17年7月3日

京町家作事組では、京町家=伝統構法を正当に受け継ぎ、創意・工夫を加えながら次の時代に引き渡し、後進を指導する職方の育成を目指して、「魁京町家棟梁塾」を開催しています。「魁」の意は追って開かれる本来の「棟梁塾」に先立つ位置づけです。

プログラムは
1.作事組の現場で実務を通して自ら修得する「実技」
2.事務局で教本を用い座学と議論で学ぶ「町家の技と知恵」
3.古今の典型的建築や庭を見学し講義を受け、また町家の改修現場で各職の親方から話を聞く「歴史と現場」
4.茶の湯、生け花、伝統芸能の体験による「知識と素養」
を予定しています。

棟梁塾開学式                     16年10月21日(木)19:00

作事組事務局において第一回目の棟梁塾が開かれました。伝統工法に係わる各職種8名の塾生と、今後の講師予定の作事組理事長、理事、そして棟梁塾長が一同に会しました。
梶山作事組理事長より挨拶があり、魁京町家棟梁塾の開催の趣旨に加え、作事組の発足と同時にあった構想であること、弟子も師もなく全員が発言し、教え教わる方針が告げられました。
塾生の自己紹介、作事組理事、事務局の自己紹介と続き、再度、荒木棟梁塾長からの挨拶の中で、ジェネラリストが求められる棟梁像、こつこつと陰ながら良い仕事をし、伝統を守る職人の技の受け皿となるべく塾の目標が述べられました。
講義のさわりとして、作事組と京町家そのもの、その歴史や特徴、改修の事例についてのスライド映写が理事長により行われ、伝統工法による材料使用量と今日の在来工法によるそれの比較について塾長より講義がありました。
外部の基準に寄りかかる形ではなく、自らの内で一つの基準に到達する努力の大切さを確認し、一回目の開催を終えました。

 座学スタート   16年11月4日(木)19:00

「京町家再生の技と知恵」をテキストに、棟梁塾の座学が始まりました。古代から近代初頭、今日に至るまでの京都と京都の町家の歴史、変容の過程を、地震の影響や工具の発達による構造の変遷を織り交ぜながら、できるだけ当時の実際の町家とその建設の様子をイメージすることを心がけながら語り合いました。
町家の構造について、現行の構造計算では評価し切れていない町家の構造的な特徴、構造材としての木材の特徴を生したフレーム、外力に応じた仕口の特性、中途半端な耐震改修の危険性、土台や差鴨居の要否、耐力要素としての土壁の性質等の話題があり、施工者の熟練と材料の個別の品質を排除した一律の外部基準にゆだねることの限界を、再び現場中心にひき戻していく必要が述べられました。
他に大津の町家のこと、トオリニワの位置、水廻りの構造と保守点検のための工夫、開口部上枠の仕舞い方の合理性、外国の棟梁のこと、現在の工程の中での左官壁の有りよう等々が話題に上がりました。
今後もテキストに沿いながら、また折々のトピックスを含めながら月に二回の座学が開かれます。

 実地学習スタート   11月11日(日)9:00

現場での棟梁塾もスタートです。午前中から伏見のMd邸の実測を行い、午後からは竣工間近の下京のNm邸の現場で見学会を行いました。
Md邸は鳥羽伏見の戦いの翌年に建築されたもの、一部には焼けずに残った築300年といわれる酒蔵や石造美術や椿のコレクション豊富な庭もあり、洛中とは違う町家の勉強になりました。三班に分かれた塾生による初めての共同作業で専門の枠を超えての意思疎通がとられました。
Nm邸では現場の左官工事を担当した萩野氏と電気工事を担当した堀氏を講師として実地での基本的な知識や仕事の流れ、他の職種との段取りや取り合いの要点、京町家に即した工事の難しさについて話を聞きました。各塾生からも経験に基づいた疑問や共有したい工夫が積極的に述べられました。
オーナー夫妻も講義に立会い、工事中の誠実な施主対応に対して御礼があり、サンドイッチとお茶をご馳走になりました。

 東本願寺御影堂見学会   12月11日(日)10:00

日本最大の木造建築である東本願寺御影堂の小屋裏の見学会が行われました。禁門の変で焼け、明治8年に再建され、国の文化財ではないものの、大規模寺院や文化財に大々的に金物が使われる直前の再建であり、その点にも見学の価値がありました。斜め上束と書かれたトラス材や、構造でなく意匠となった斗拱が見られ、過渡の時代を物語っていました。陸までの軸組みはヤトイ中心で、柱の断面欠損を押さえ、横架材の材料を有効に使いながら、地震に対しては仕口の初期の耐力には期待せず、大きい変形性能なかでゆっくり減衰する構えです。松とケヤキの混じる小屋組みの横架材の両端の台持ちには、拳骨が入るまでの暴れもありますが、塾長いわく、今この程度であれば、出来たときには完全に合っていただろうということです。隅木の下の二重三重の腕木の持ち出しは、図面管理は不能の世界で、そのボリュームにも圧倒されました。内部の見学の後、塾長により、基本的な堂宮の構成についての講義があり、各部の象徴する意味については理事長からも話がありました。  
次回にもたれた復習の会では塾生より、丸柱の加工の仕方、一本160トンの柱の荷重の基礎のあり方、完成した姿だけでなく仮設や揚重への疑問、ケヤキのホゾを鉋をかけたように仕上げた技術等など、たくさんの質問や意見がありました。

 Nk邸見学会   1月16日(日)9:00

東寺近くのNk邸の工事現場で見学会と合わせ、瓦工事担当の光本氏と畳工事担当の東奥氏からの講義がありました。
瓦の講義では、実際の現場での工事の流れ、現場での他工事の取り合いの留意点、文化財の屋根の改修事例、日本への瓦の伝来や、桟瓦の普及、瓦の種類の広がりなどの歴史を、詳しい資料と映像を交えて話がありました。世界一の水仕舞いといわれる桟瓦が、流れ長さでも勾配でも、性能の限界まで使われているのが京町家であると言えそうです。塾生からは瓦の踏んでよいところ、いけないところなどの質疑がありました。
畳の講義では、芯、表、縁、たくさんのサンプルを見ながら、そして、縫い針や位置決めやこぜるための針、特殊な金槌、厚みを取る定規、各種包丁等の多様な道具を実際に見ながらの話がありました。目に付きにくい部分で、技に支えられてきた畳の性能や多様性が、工業製品化によって別のそれにとり代わり、本当にいいものがお茶室等でも実際には作られにくい状況を聞くことも出来ました。

 松尾大社見学会   2月13日(日)

作事組の佐藤嘉一郎伝統技術担当を講師に、松尾大社の磐座と重森三玲氏作の庭の見学会が行われました。もともとの御神体であった山とその中心に祀られる岩屋を訪ね、古代の信仰や祭祀の原型から平安京遷都以降の松尾大社の位置づけ、鎮座地が建築化される過程、中世の酒造家の信仰の由来をお伺いしました。また、佐藤氏が重森氏の三つの作庭にたずさわった当事者としてのお話や、日本の伝統的な庭の潮流の話がありました。日本の庭が時代ごとの不易流行の中で、折々の世界観、宇宙観を現してきたこと、近代以降、それを失い、形式や創作の庭となっていくことが意見交換であげられました。講義の後、作事組理事を含め、近くの串カツ屋で新年会があり、理事長、塾長の木遣も披露されました。

 Uコートと小舞編み実習   3月3日(木)

梶山理事長によるUコートの設計と今日までの住まい方やメンテナンスのプロセス、近代建築を取り巻く風潮の変遷の話がありました。前回の作庭の学習からつながる近代への反省の視点での講義です。勾配屋根を架け、通風を求めた先駆的な例であること、コーポラティブハウスの設計の困難さ、RC建築に対する信頼の限界、今後の改修計画などの話を聞きました。
続いて荒木塾長お手製の組み立て式ポータブル壁下地で、塾生による小舞編み実習が行われました。かつては十三坪の壁が一日に一人で編まれていたといいます。今では現場で職人が自分で編むことは少なくとも、下地窓の造り方としても基本になるところです。利き手の人差し指にテーピングをして、縦横の小舞の編み方、土蔵の場合の編み方、縄の継ぎ方、端部の処理を教わりました。
材料を無駄にしないと同時に、現場でごみを出さない大切な基本があったことも知りました。
あわせて棕櫚縄での男結びの練習もありました。

 Sr邸見学会   3月13日(日)13:00

中京のSr邸の工事現場見学会と、洗い・塗装工事担当の今江氏と板金工事担当の橋爪氏からの講義がありました。
洗い・塗装の講義では、漆から始まった日本の塗装が、江戸時代に渋、ベンガラが広まり塗装が庶民のものになり、明治期から油性塗料が導入されたこと、40年前までの塗料は腕がないと刷毛目が立ってうまくは塗れなかったこと、素人にも塗れる塗料が発達した今日も、材料の特性は十分に調べてから適材を適所に塗る基本と塗装の傷みの早めの手当ての大切さを教わりました。洗いは、一般的なあく洗い、文化財等で使われる水洗い、シュウ酸を使う古色洗い、洋風の造作のニスの塗り替え、石のフッ化水素の洗い、タイルの塩酸洗い、厨房の油のアルカリの洗い等等、幅広い技法があることを教わりました。建築にまつわる制度や材料の変遷の中、洗いと塗装の技能があらゆるものに対応してきた歴史を聞きました。
板金の講義では、Sr邸の現場に即した課題から水仕舞いの多くを教わりました。4室型の主屋は流れが長く、両側のビルから水切りが架かり、更にその途中に天窓があり、改修前には不要なコーキングもあり、結局雨漏りの原因究明のため天窓までの瓦をめくりなおしたそうです。離れは薄い野地板の見上げが化粧、垂木のピッチが不規則な上にバチリもあり、それらをすべて実測の上、瓦棒葺きの尺巾を全部切り直しての工事です。縁の腰葺、谷のたたみハゼ、敷居の水じゃくり、瓦の落ち口の銅板の処理等の基本を教わりました。塩ビ製の樋では鉄芯がないものが耐久性があること、その掃除の仕方、また広く今日の板金材料の種類とその耐久性、コストの話も聞けました。

 興福寺・東大寺見学会   4月10日(日)10:00

武庫川女子大の妻木靖延先生を講師に、興福寺、東大寺の建築の見学会に出かけました。興福寺は藤原氏の氏寺で平家による南都焼討ちで灰燼に帰し、鎌倉以降の再建が今日まで見られます。北円堂や三重塔は天平期のリバイバル、全体から部材までのプロポーションが美しく、武家社会以前の繊細な貴族好みのデザインを伝える鎌倉和様の優品です。東金堂も何度も再建を繰り返しながら奈良後期からの様式を守って伝えられています。五重塔は東寺に次ぐ日本第二の高さの塔、中世の塔ではあるものの落ち着いたデザインで、元興寺の塔の写しとも言われています。
東大寺南大門は大仏様を持ち帰った重源の再建によるもの、繰型を持つ力強い挿肘木で深い軒の出を支えています。大仏様のオリジナルの一つであり、今日では見られない鎌倉再建の大仏殿を偲ばせる貴重な建築です。鐘楼は重源の跡を継いだ栄西によるもの、大仏様の中に後に自身が広める禅宗の意匠が見られると伺いました。法華堂は奈良時代の正堂と鎌倉時代の礼堂を持つ双堂の形式で、東大寺の天平期の仏像を仕舞う建物です。塾長いわく双堂をつなぐ屋根の形状に独特のこだわりが見られるとのことでした。転害門は治承の兵火を免れた唯一の東大寺伽藍の遺構で蟇股の発展途中の形式を伝える貴重なものだそうです。
同じ木造建築でありながら、京都の町家とは違う歴史とスケールを持つ古建築に触れる勉強会となりました。妻木先生のお話は本当に愉快で、興福寺の南円堂に対する北円堂のお参りの少なさ、三重塔の真前に長らく便所があったこと、廃仏毀釈で五重塔が売りに出されたこと、東大寺南大門を通るほとんどの人が上を見ないこと、大仏殿の柱の下の孔は子どもが潜るためにあるのではないこと等等、貴重な古建築の価値をユーモアたっぷりにお話いただきました。

 解体町家見学会   4月17日(日)10:00

 今秋、京都大学防災研究所が行う町家の振動台実験のために移築予定の新町夷川下ルの町家の解体現場を見学に行きました。塾長が解体工事を担当しています。もともとの大工の持ち家であったそうで、構造材の状態は良好でした。むしろ後からの離れの傷みのほうが進んでいました。外材の使用が多く、構造材がやや大きめで、また市街地建築条例以降の建築で水平材もみられ、町家の構造評価のサンプルとしてはそれらの条件がつきそうです。オモテの格子もラワンかとこそいでみたところ、香り立つ尾洲桧で、実験で使われるにしろもったいないとの感想もありました。

 座学最終回   17年4月21日(木)19:00

 棟梁塾の座学の最終回が行われました。「京町家再生の技と知恵」の第三章、〈実践〉改修マニュアルの最終章まで読み終わり、塾長の講義も終わりました。テキストに書かれていることは自分で読み、それ以外の人の話を大切に聞き、自分で考えることの大切さが繰りかえされました。職人として、人に話すときの自信を得ること、それが施主の信用を得ることにつながること、そのために浅くとも広い知識が必要で、かつ専門分野は深くなければならないと語られました。
お茶とお華の実習は後日の予定とし、塾生にはレポートの課題が出たところで、半年間の魁棟梁塾は一旦終わり、本来の棟梁塾の開講に向かいます。