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京町家友の会
会長とティータイム
◎第2回……阿蘭陀館(旧日本銀行京都支店)にて(2010年9月14日)
〈松村篤之介(友の会会長)〉

●集まりは時間厳守、5分前を必ず守るようにしています。5分前に遅れないよう5分前の5分前、10分前くらいに現地に行くようにして、5分前には定位置に座り、時間通りに始まるという事を実行しています。会合というのはそうありたいものだと思っています。

●この間深夜放送を聞いていたらこんな話がありました。ある中学校で「織田信長を殺したのは誰でしょう」という問題を出したところ、「僕ではありません」という答えをした子がいたそうです。先生が×にしたところ、父親が怒鳴り込んでこられたとの事。最近は先生も大変ですね。現代社会のねじれというか、難しい時代だなあと思います。
 現在、ゆとり世代の若者達も社会に出始めていますが、競争意識がなく、しのぎを削るという教育も経験も受けていないので、現代のこの激烈なマーケットの中で、一線に立って対応することができずに困ると、ある金融関係の会社の方が言っておられました。
 教育というのは、教える人たちがどういう方針でいかに教育していくかというのがとても大切です。受ける側はある意味で被害者です。

昭和19年9月江田島にて。
海軍兵学校の凛々しい軍服姿の松村会長
 私は戦前旧制中学校を出て、海軍兵学校に入りました。戦時下ではありましたが、軍事学は現場にでたら否が応でも身に付けなくてはいけないのだから、基礎教科に全力投球しなさいというのが当時の校長の方針でした。今から思えば早晩戦争は終わるだろうという予想があり、戦後の厳しい時代を生き抜けるように、基礎教育をきちんとやっておく必要があると考えておられたように思います。終戦間際ではありましたが、ぎりぎりまで教育を受ける機会がありました。おかげで終戦後故郷に帰った生徒たちは、それぞれ希望する方向に生きていくことができました。そういうカリキュラムを受けていなかったら、私は社会に出てからどうなっていたか。当時の一歩先を見た指導者の教育に、言い表すことができないほど感謝の気持ちを抱いてます。教育とは先を見通したものではなくてはいけないと、心から思います。

●私は京都三中に通っていました。もやしのように背が伸び、中学校3年生の身長は177センチ、身体を動かすのが好きでしたので、3年生の夏休みから籠球部(バスケットボール部)に入りました。放課後は夜までバスケットに費やすことになったので、家に帰ると食事をしたら宿題をするのが精一杯です。それではまったく勉強ができないので、どうしたものかと思い、その学科の授業はその時間内ですべてわかるようにしてしまおうという方針を自分で決めました。授業中にしっかり学び、わからない事はその場で先生に質問する、そんな方針に切り替えたところ、成績がグンと上がりました。自分で自分の勉強のシステムを考え、実行して、結果がでるとまたうれしくなっていく。自分の人生、現在の取り組み方はそのころに決まっていったように思います。できるだけその場で問題に取り組みそのときに解決していくと、新しい問題が起こってもまた受けとめられる、私の基本的な生き様はそんな姿勢でやってきたつもりでおります。
 でも、一生懸命取り組んでいても、どうにもならないということもありますね。そんな時には神も仏もないという思いにとらわれます。切羽詰まって「God is nowhere!」と追い込まれたとき、このスペルのwとhを離してみたらどうなるでしょう。「God is now here!」-神は今ここにある!-。どうにもこうにも行き詰まったときも、ちょっと工夫して見方を変えると、誰か見ていてくれる人がいる、となる事をこの言葉から教えられました。

* * *

 その後はティータイム、旧日本銀行京都支店の金庫室であった重厚な阿蘭陀館さんの建物で、ケーキとコーヒー紅茶をいただきました。父上が事業を営む頃、まだ学生だった松村会長を連れてこの建物を訪れられ、若き後継者の存在を担保に(?)支店長に金策を申し出られたお話などもお聞きしました。
 また、京大でも続けられたバスケットボールについては、全日本の学生選抜にも選ばれ、メルボルンオリンピックの強化選手にもなっていた(残念ながら、国家予算の欠乏で、最終的に日本のバスケットはその時オリンピック参加しなかった)という驚くべきお話も伺うことができました。
〈小林亜里(友の会通信担当)〉

2011.1.1