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京町家友の会



場所わきまえて
立春いうても、まだまだ寒い日が続くけど、庭の梅はつぼみがふくらんできて。ちょっとずつ春が近づいてきてるのやろなあ。そやけど寒い。
この間、会議に出たらペットボトルのお茶が出てきた。それも冷たいの、真冬やのに。
このごろお茶いうたら、ペットボトルが普通になってしもて…。困ったことやなあ。
会議言うたらほとんど、ペットボトルのお茶と紙コップが出てくる。お湯飲みやらお茶托やら、あらへんのやろかと思う。あじけないことになって。手間をはぶくていわはるけど、ほかにもっとはぶくとこあるのと違うやろか。大事な時間をつこて来てもろてるのに、感謝とか礼儀がなくなっているような気がしてかなん。それに資源の無駄遣いやと思うけど。
お湯のみやったら、つこたあとあろたらいいのやし急須もお茶の葉を変えたらしまいやし。
ペットボトルは資源ごみを増やすだけやのになあ。
まあ、なんでもペットボトルで済ましてるほうも悪いけど。この頃、水筒いうのをあまり見かけへんようになった。なんかいうたら、自動販売機やコンビニで買うたペットボトルが出てくる。電車の中でも、道端でもどんなとこでも飲んだはる。らっぱのみで。大人も子どもも一緒や。私らは子どもの頃、じかに飲んでたら叱られたけど。
歩きながらの人も多なった。ところかまわずで、ちょっとびっくりしてしまうことが多い。本当にびっくりするのは、いろんな集まりで大勢が集まっているときでも平気でペットボトルを出してきて飲んだはること。お座敷でもおかまいなし。ピクニックにいってるわけやあるまいし、場所を考えてほしいと思うことがおおなってる。お座敷に通ってもらうということは、こちらでお茶の準備もしてるのに。自分が喉渇いたからいうて、勝手にペットボトル出してというのは、子どもみたい。それも我慢のできひん子どもと同じ。場所柄をわきまえるいうのは、最低限のお行儀やと思うし、子どもでもそれぐらいはわからんと困りますなあ。それぐらいわからへんかったらどないしますの。

2005.2

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