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京町家友の会
友の会会員さんのお宅訪問
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第1回平野郷・藤岡邸
文:烏谷 洋介(京町家友の会会員)
写真:松村 聡( 同 上 )

■自治都市・平野郷の風景と心意気
 5月22日、やや肌寒い雨空のもと、京町家友の会による「会員さんのお宅訪問」がスタートしました。第1回の訪問先は、大阪・平野郷の藤岡邸。松村会長以下、十数人が打ちそろっての“大人の遠足”です。地下鉄谷町線の「平野」駅で下車すると、ご当主の藤岡さんがわざわざ出迎えてくださいました。
 藤岡邸では、まず「平野郷HOPEゾーン協議会」の松村会長から、平野郷再生のお話をうかがいました。坂上田村麻呂の子孫が開いたという平野郷は、大阪より古い商業都市。戦国時代には、周囲に堀をめぐらして戦乱に備えつつ、当時の堺と並ぶ自治を布いていた誇り高い町です。
 そんな平野郷の伝統と活気を受け継ぐべく、松村さんたちが立ち上げたのが「平野の町づくりを考える会」。平成11年度からは、大阪市による「まちなみ修景事業」の対象にも選ばれ、「祭ちょうちんが似合う町並み」をコンセプトとする修景が始まります。この事業で何らかの改修を受けた住宅・施設は、藤岡邸を含め改修事業開始10年間で50軒を達成。その間の行政との駆け引きがまた、平野商人の末裔らしい痛快さなのですが、今回は割愛しておきましょう。

■江戸時代の商家の遊びごころが息づく邸内
 心づくしのお弁当をいただいた後は、お待ち兼ねの邸内見学です。晴れ晴れと明るい前栽と、そこに面した二間続きの座敷、季節の花々が随所に飾られた玄関まわり(すべて、奥様が庭で摘まれたもの)、大階段から出入する二階部屋など、江戸時代にさかのぼる古い商家は、平成の改修を経て、伝統の中に新たな面目を施していました。改修に当たられた山内棟梁によれば、本体は不陸もほとんどなく、しっかりしたものだった由。「いい勉強をさせてもらいました」という言葉にも、実感がこもっていました。
 とても全部は見切れない邸内の中で、個人的に印象深かったのは、離れ感覚の茶室。畳の間に板間を設けた二畳中板の構えや丸窓のしつらい、天窓による自然照明など、作法にしばられることなく、客をもてなす工夫が随所に感じられます。かつて、代々のご当主は、懇意のお客さまをここに招き、当座の商いから平野郷全般の話題まで語り合われたとか。伸びやかさに満ちた社交の場は女性陣にも好評で、最後まで談笑の声が絶えない一間となりました。

■杭全神社に全国唯一の連歌所を訪ねて
 厚く礼を述べて藤岡邸を辞した後、平野郷の総鎮守・杭全神社へ。藤岡さんのご手配で、藤江宮司自ら、境内を案内してくださいました。ここには、祇園社・熊野三所権現・熊野證誠権現の三本殿(いずれも国重文)以下、天満宮、加茂社、金比羅宮から戎社までが鎮座し、人々の参拝が絶えません。また、鎌倉時代に建てられた大門や、全国唯一の連歌所など、平野郷の財力・文化を物語る、数々の遺産が残されています。
 今回は、神社側のご好意で連歌所を拝見しましたが、瓦葺・平屋建・障子窓の明るい建物内には、三十六歌仙の額が一面にめぐらせてあり、いかにも文芸の場にふさわしい雰囲気。現代も月に一度の連歌会が催されているとうかがいました。最後には宝物を集めた写真集までいただくなど、神社の方々の心づくしには、恐縮のほかありません。
 今は大阪市の一区域になってしまった平野郷には、往時の面影が豊かに息づいています。かつての環濠の名残りである堀池。大念仏寺や全興寺などの、人々の信仰と団結を支えた大小の寺院。そして、白壁・表格子・虫籠窓に袖卯建が見事な平野の町家の数々。そのたたずまいの向こうには、この街を愛し、保存修景に尽力された大勢の方々の息長いご尽力があります。一方で、受け継がれてきた遺産の数々をあっけなく捨て、無個性・無時間的な「現代」と取り替えてしまった、多くの街々の無念も思わずにはいられません。
 最後になりましたが、藤岡さんご夫妻をはじめ、お世話になった平野郷の皆さま、さらには、いろいろな出会いをコーディネートしていただいた友の会事務局の皆さまに心からの御礼を申し上げます。ありがとうございました。