• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家友の会


はつはる 小島 冨佐江

 耳をすませば六角さんからの除夜の鐘がかすかに聞こえる。108つの煩悩とは言うものの、たくさんの善男善女のお参りにこたえるにはもっと現代の煩悩もふやさんと数が足らんのと違うやろかと夢うつつ。目が覚めると元旦。
 熱心な東本願寺の門徒であった祖父からの慣わしどおり「正信偈」を家族でお勤めすることから私の家の新年は始まる。神棚、荒神さんを拝み、結び昆布と小梅のお祝いのお茶を手にするときには、家族の挨拶も一巡している。大晦日に準備しておいたお屠蘇を祝い、数の子、ごまめ、黒豆の祝い肴をいただき、ようやく一息といったことが毎年の元旦の朝である。のんびりとお煮しめの出来を品定めしながら、お雑煮を祝う。三が日は同じような朝を過ごすが、2日からはそれぞれのお年始や初詣に出かける。普段じっとしていることが少ないせいか、2日目にもなるとそわそわ、せっかくのんびりと出来るのにもったいないことである。
 暮れに蔵の隅から「いわふ椀」とかかれた箱を出してくる。お雑煮を祝うためのお椀で、男性は朱塗りの家紋入り、女性は黒で中が朱、女紋入り。一年に三日だけの器であるが、毎年お正月に使うものである。大切に扱えば一生このお椀と付き合える。子どもが生まれたとき、お食べ初めにあつらえたお椀を大人になるまで使い、一人前になると大人のお椀に変える。お膳 とお椀の組であるが、私はお雑煮を入れることにしか使っていないので、ほかのお椀は色も変わらずきれいなものである。屏風、段通、手あぶり、毛氈など蔵から運びだす。一年に一度お正月だけに使うものであるが、決められた場所におさめると不思議と気持ちがあらたまる。面倒なことといえばそれまでであるが、年に一度の決まりごととして、それはそれで気持ちのいいものである。
 大晦日、あらかたの掃除が終わるととおり庭を洗い出す。デッキブラシでごしごしと石畳を磨き、水で流しながら外まで一年の汚れを洗い流す。これが掃除の締めくくりである。それがすむとようやくお飾りの準備である。仏さん、神さんとお鏡さんのお飾りをする。仏さんのお磨きはそれまでに済ませているので、主にはお鏡さんを飾ることである。神棚はお札、お注連縄、御幣を新しくし、お鏡さんとお神酒を供える。荒神さんも清めてお飾りをする。床の間、台所、子ども部屋などそれぞれの場所にお鏡さんを飾り、ようやくお正月のこしらえができる頃には夜も更けている。毎年暮れになると今年こそはいい加減にして、楽をしようと思うのだが、ついついあれこれ気がつけば毎年と同じことをしている。
 元旦、私の悩みは年賀状である。母は周到に師走に入る頃には準備を始め、余裕であるが、私は…。お雑煮を祝う頃、玄関に物音がするとお年賀状が届いている。あの方、この方と頂くのは大変うれしいのであるが、一枚も書いていない身にとっては落ち着きが悪くなっていく。今年もこのようにしてぎりぎりばたばたの一年になるのかなあ、と少々不安がよぎる。元旦早々夜中に年賀状を書くことからが私の新年かもしれないと。来年こそはと一年の計は…である。
 お年始のご挨拶まわりも少なくなったが、玄関はかまちに毛氈をかけ、段通を敷き、名刺受けを整えておく。手あぶりには炭を入れることも忘れてはいけないことである。ここ数年お年賀にこられるのは目に見えて少なくなっているが、これも三が日の決まりごとと思い朝炭をおこす。「どなたもみえへんしもういいか!」と炭をいれずにいると、決まってどなたかがお年始にこられる。「あーしもたことした」と。お正月のお付き合いが少なくなってしまい、ついずぼらごころがおきるのである。でもどこかで見られているのか、「さぼったらあかんえ」との声が聞こえてくる。
 一月は半分をお正月で過ごすため、あっという間に過ぎてしまう。4日のあつめ雑煮、お供えのお雑煮や三が日の残りを集めて4日に頂くのであるが、お餅もとろけて、おつゆかお餅かわからないぐらいどろどろしている。私は小さい頃からこのお雑煮が大好きでよく話をするのであるが、あまり一般的ではないらしく「あつめ雑煮」と言うと???と首を傾げられることが多い。7日は七草、♪七種なずな 唐土の鳥が 日本の土地へ 渡らんさきに 七種なずな♪ とはやしたてながらとんとんがちゃがちゃまな板にのせた七草をきざむ。15日は小豆粥、お正月の祝い箸もこのお粥を限りに役目を終える。不思議なことにお箸が普段のものに戻るとなんだかやれやれと思ってしまう。冬はこれからである。

(京町家友の会事務局長)
過去の『歳時記』