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京町家友の会



年始と冬の暮らし方 福井 まり子


 小さい頃、我が家には畳半畳ほどもある長火鉢があった。父の仕事の関係で、南九州管内を2〜3年ごとに転勤していたが、この大きな火鉢も持っていった。周囲に15cm幅の板が付いており、一家五人この火鉢を囲んで食事をするのだ。暮れの大掃除を終え、新しい藁灰の入った火鉢を見ると、お正月が来るぞ!と子供心にわくわくした。45年も前のこと、暖房といえば炬燵や火鉢の頃、この大きな火鉢には常に火があり、この時季、酒屋からもらった酒粕を焼き砂糖をつけて食べたり、田舎から送ってきた搗きたての餅を焼き、するめを焼き、大晦日にはお正月の準備に忙しい母に代わり、唯一父が料理を分担、この火鉢をですき焼きを作ってくれる。除夜の鐘もこの火鉢を囲んで聴き、今年一年を思い出し、話が弾んだものだ。
 元旦の朝、家族揃って、神棚、正月の神さん(床の間にお供えした鏡餅)、それぞれの部屋の神さん、そして仏壇にとお参りをします。早朝に父が汲んだ若水で湯を沸かし、お煎茶と母が作った梅干をいただき一息。この日ばかりは、正月の設えをした応接台が出て、厳かにお屠蘇をいただき、新年の挨拶をするのです。私は甘くとろっとしたこの屠蘇が大好きで、三が日はお客様のために置いてあったので、母の目を盗んではこの屠蘇を飲んで酔っ払い、よく怒られたものです。この甘い屠蘇に使用するお酒は、肥後の赤酒といって熊本に古くから伝わる灰持(あくもち)清酒といわれる酒の代表的なもの。加藤清正の領国時代には大阪豊臣公へ熊本の名産として献上、江戸時代細川藩では「お国酒」として保護されたそうです。
 厳かな正月行事を済ませると、やはり火鉢を囲んで、電話もない頃だったので、来たばかりの年賀状の懐かしい人々の話に会話が弾んだものです。そうそう、何も書いてない年賀状をもらったことがあります。実は、火鉢で炙り出すとおめでとうの文字が出てくる。みかんの汁を使い書いて乾かすと真っ白になる。やったことありませんか?
 さて、家族が憩うた長火鉢は、引越しの度に捨てられる憂き目にあいながら、父の定年まで持ちこたえたものの、土地を買い、家を新築する際、とうとう燃やしてしまいました。今思うと、もったいないことをしたと悔やまれてなりません。
 現在の我が家のお正月はといいますと、共働きの私たちはそれぞれが年末まで仕事をする職場環境にいますので、年末の大掃除も正月準備も気持ちだけ(!)、加えて一人娘もお菓子やさんの販売員となり、元旦を除き仕事といった具合に慌しい年末年始を過ごすこととなってしまいました。唯一、元旦の朝のお参りだけは家族三人揃ってやっています。年始の暮らし方を考えてみましたが、父母から受け継いだ事柄はこの程度。悲しいことに、伝統のある家から独立していくと、少しずつ暮らしの決まりごとをなくしてしまうようです(いえ、努力次第でしょうか)。
 今回つくづく感じたことは、伝統や歴史のある家を守ることの大切さ。京町家を保存することは、そこに息づく伝統を守り育んでいくことであり、オーバーかもしれませんが、日本人であることを忘れないためにも必要なことだと思います。熊本にも昔の問屋街には町家が軒を並べていましたが、今では数軒残る程度。持ち主は自分が辞めたらここもビルになるだろうと嘆いています。古い家を維持するのは大変なことだけれど、日本人の歴史が無くなってしまうほど大事なものがそこに存在するのではないでしょうか。「京町家友の会」の主旨が日本全国に広がっていくことを祈ります。
 一年の始まりを何となく過ごしてしまわないよう、これを機会に主人と昔を思い出しながら、我が家のお正月を作っていこうと決意した次第です。

(友の会会員)
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