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京町家友の会



春のたのしみ 小島冨佐江


 桜の喧騒がおさまり、町中の木々も柔らかな新芽の緑が日に映えて美しい。我が家の庭にも、今年の冬に仲間入りしたもみじの淡い緑の葉っぱが目を楽しませてくれている。ほかの木にも濃い緑の葉と淡くやわらかそうな新しい葉が交じり合って、今だけの美しい彩を見せている。お花の華やかさとはまた違った、春のほんの一瞬。
 錦の市場を歩くとたけのこが目に入ってくる。「朝掘り」の札のついたりっぱなたけのこがそこここに並んでいて、食卓にあがるのを待っている。車で半時間も行くと竹やぶがあり、「たけのこ掘り」は案外多くの人が経験しているのかも知れないと私は思っている。おのずと到来物もあり、若たけ、たけのこご飯、木の芽和えなど、たけのこをあの手この手で賞味する工夫が主婦には課せられる。うど、ふき、グリンピースなど春の野菜が食卓をにぎやかにしてくれるが、やはりたけのこが一番のご馳走である。
 桜の賑わいがおさまった町中の次の話題は「葵祭」、斎王代をつとめるお嬢さんのことが新聞に載る頃でもある。やすらい祭、葵祭と春はお祭も次々と行われる。私の暮らす界隈の祇園祭までにはまだ少し間があるのだが、私の育った伏見では、5月にお祭がある。菖蒲の節句発祥の地とされている藤森神社のお祭である。5月5日にお神輿と武者行列が出る。ちょうどゴールデンウィークにかかっているため、2、3日前から縁日がでて、子どもの頃には毎日通っていたように思う。境内も広く、今もたくさんの露店がならんでいて、にぎやかなお祭である。5日には「かけ馬」の奉納があり、いっそうの賑わいである。
 お祭には祖母が鯖寿司をこさえた。お祭に鯖寿司はつきもののようで、「祭礼用鯖寿司承ります」の看板をいろんなところで見かける。お祭の鯖寿司はお赤飯とともに親戚や商売上のおとくいさんのところにお届けするのが毎年5月4日のことだった。祖母が市場に出かけて鯖を何本も買い込み、お寿司にする前日は夜なべ仕事に鯖の「掃除」をして、お酢に漬けていた。家の中は鯖のにおいで充満、お魚の苦手だった私にとってはじっとがまんの数日であった。京都の人は背の青いお魚はあまりいただかないはずなのに、なぜか鯖は特別で、特に鯖寿司はごちそうとして喜ばれる。
 塩で身のしまった鯖をお酢に漬け込み、なじんだ頃に寿司飯にのせて形を整え、竹の皮につつんで重石をする。大きな半切りに炊き立てのご飯をいれ、お酢と合わせている祖母の姿が目に浮かぶ。大さじやカップを知らない明治生まれの祖母は、手加減でお塩やお砂糖を振りかけながら、ごはんを合わせていた。大きなおむすびを何個もこしらえ、鯖の大きさに合わせて棒のお寿司が出来上がっていく。なまなましいのが苦手な私たちには、分厚いところをそいだ身を白くなるほどにお酢でしめたものをご飯にのせた白い鯖寿司も作ってあり、これは今でもなつかしい味であるが、わざとに作ってあるのを見かけることは少ない。何本も出来上がった鯖寿司をかっこうのいい順に並べ、半紙でつつんでお届け物にする。食卓にも鯖寿司が並び、出来具合を話題ににぎやかな祭礼の日であった。
 鯖を「掃除」してアラがでると、祖母や母は必ずといっていいほど「あしたのお昼は船場やなあ」と言った。お大根と鯖のアラをさっと煮た「船場汁」がお昼のおかずに並んだ。塩鯖の焼いたものは嫌いではなかったが、この「船場」は苦手、いまでも自分では作ることのない献立のひとつである。祇園祭の界隈に住むようになってから、鯖寿司は少し遠のいているが、祖母から母へと伏見の家の鯖寿司はいまだに続いている。娘たちが、鯖の小骨を取るのがおもしろいといい、母の手伝いをしていることがあるようで、そのうちに我が家でも鯖寿司ができるようになるのかもと、淡い期待を抱いている。

(友の会事務局長)
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