秋のお彼岸にはおはぎをいただく。「しっかりおたべ、元気がでるし」と何時も母は自ら大きめのおはぎを作っていた。これが過ぎるとあたりを吹く風も朝夕涼しくなり、あのムシムシだった京の暑さも終わりに近づく。山萩の良く背の伸びた枝が風になびき揺れ、赤紫色の可憐な花びらが、辺りに秋の気配を感じさせてくれる。 我が町内木辻北町は鉾町として祭りを支えてきた。下立売り通りを挟んで南北に面した町内。この通りはかっての近衛大路。現在では妙心寺道と言う。通りの南側の住所は南町だが町内会は北町に入る。その昔、4軒の家が持ちまわりで鉾飾りを担っていたらしい。交通や、家庭やアレコレの事情を経て、戦後は我が家の玄関が固定した飾り所になっている。お飾りは祭りの1週間前の日曜日「お出で」の日として町内のみんながお手伝いして早朝より組み立てる。山車、剣鉾、剣柱、御神体、御鏡、吹き散、太鼓、屏風、三方さん、掛け軸、すだれ、お玉、お供え物、提灯等々。剣鉾の飾り付けは縄のみで巧みに繋ぎ結わえる、代々口伝え、手ほどきで憶え習う。今年春から町内で鉾を守る会が正式に発足。保存継続発展へ、新しい挑戦も始まった。 祭りと言えばご馳走だ。祖父の時代は文字通り「お祭り騒ぎ」だった。鯖鮨、赤飯、松茸、栗、カマボコ等々。夏に漬けた紅生姜もあった。「鯖はやっぱり焼津の浜塩の鯖や」「小豆、松茸、栗は丹波に限る」と母はひどくこだわっていた。確かにどれもおいしかった。昨夜の内に栗の皮を渋皮まできれいに剥き、鯖の骨抜きをしていた。鯖を締める酢の香や、松茸の匂い、蒸篭で栗入りのおこわをおくどさんで炊く。勿論祭りに酒も欠かせない。家中に豊かな匂いが充満し活気に満ちていた。竹の皮で包んだ鯖鮨やおこわを、親類、お得意さんは勿論、昔色街に居たらしきおばあちゃんにも配っていた。今はその賑わいは無く仕出し屋さんもの。ただ娘の嫁ぎ先の伏見から1週間前に届けられる絶品の手作り鯖鮨に出会える。母も何度かいただき「心がこもったはるなー」としみじみいっていたのが思い出される。 前夜祭は、「花園道心太鼓」の奉納がある。氏子達による勇壮な太鼓の響が祭りを盛り上げる。祭りは、午前中に子供神輿が、午後から本神輿の御巡幸だ。子神輿は昨年新調され、若中会も再組織された。祭りも活気づいてきている。剣鉾の前では、熱気した若衆達が「ヨイヨイヨイヨイ」の威勢の良い掛声に合わせ、カネや太鼓の音、で奉納があり、その余韻が秋空の彼方まで響いていくようだ。 (友の会会員) |
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