俳諧文学の権威、故・頴原退蔵先生は「俳諧・歌かるた集」で小倉百人一首歌かるたの遊びは、雑俳川柳「柳(やなぎ)樽(だる)」に多く詠まれてあり、江戸時代に大変流行ったことがよく判ると述べられています。 家なみに都女(みやこおんな)の歌かるた(1696・元禄9) 京の町家の格子戸から女達の賑やかな声がきこえ、暮しぶりがしのばれます。 歌かるた合わす娘の膝がしら(1701・元禄14) 声を合わせ詠むや蛙の歌かるた(1667・寛文7) 恐らく正月から初夏を詠んだものでしょう。 鳴きやむよ声つく蝉や歌かるた 酒にしょと茶碗かぶせた歌かるた 子供や女だけでなく、大人の男も蝉の鳴く真夏にもかるた遊びに興じていた庶民の暮しがよくわかります。 歌かるた ―秋の田のかりほの庵(いほ)の苫をあらみ わが衣手は ―君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に 川柳の歌かるたは小倉百人一首のことだとわかります。 現在、かるた競技の名人戦・クイーン戦は毎年正月、衛星テレビで1番歌・天智天皇「秋の田の・・・」でゆかりの近江神宮から実況中継され、ご存知の通りです。この挑戦者達は前年の春から各地域で予選を重ね、真夏の挑戦者決定戦に勝ち抜いた人達です。また「かるたの甲子園」と言われる全国高校かるた選手権大会も近江神宮で開催されています。全国200余校から勝ち抜いてきた代表の30数校と200余人の代表選手達が真夏の8月、団体戦、個人戦の高校日本一を競っています。テレビでご覧の通り、競技かるたは、優雅なイメージとは程遠く、集中力、瞬間の判断力と決断力の勝負で、持続的な体力が求められ、正に近代スポーツそのものです。 デジタル時代になっても、かるたの札は毎年正月前後には数十万組が売れて、メーカーの在庫が無くなるぐらいに人気は根強い。毎年正月の太宰府天満宮かるた大会は、出場者が500人を超すので沢山のクラスに分けて、日曜日ごとに開催されている程です。京都でも伝統の「かるた忌慶讃全国かるた大会」は出場者が250人にもなり、総本山・本隆寺と西陣会館で分散開催し、主催者は嬉しい悲鳴をあげています。 小倉百人一首は種々な角度で分類されています。例えば「恋」の歌43首、「秋」は16首、「春と冬」は各6首、「夏と離別」各4首です。出典は、古今集24首、新古今集、千載集、後拾遺集が各14首他となっています。 (2006.1.1) |
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