• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家友の会



大将さん 長野 享司(京町家友の会会員)

 五月は一年のうちでもっとも気持ちのいい季節です。「風薫る…」という表現は字も良し響きも良し、思わず体が躍動するような爽快感を覚えます。そのさわやかな五月の空は澄みきった青空が広がり、少し目を下げるとまばゆいばかりの新緑の木々、その中にひときわ鮮やかに翻るこいのぼりの親子たち。絵に描いたようなこの光景は、私たちに日本人としての喜びと郷愁とを呼び覚ましてくれます。このごろの街中にあっては、このような風景はもはや見ることはできませんが、少し郊外に足を伸ばすとわずかに散見することができます。私はこいのぼりが風を一杯に吸い込んで大空を悠々と泳ぐ様を見てるのが大好きであります。  
 
  こいのぼりとともに五月に欠かせないものが「大将さん」です。我が家では「五月人形」と言わずに母が「大将さん」と言っていましたので自然に私もそう呼ぶようになりました。私の「大将さん」は段飾りではなく鎧を着た若武者一体だけのものです。でもその当時(昭和28年)としてはまだ物がたくさんある時代ではなく、母はお人形を出すとき「この大将さん、おばあちゃんが苦労して買ってくれはったんやで。りりしい顔してはるなあ。」と必ず言うのでした。そんな祖母と母の想いを聞かされていたので私にとっては小さくとも大好きな「僕の大将さん」であったのでした。  

 我が家には、これとは別に立派な「大将さん」がおられます。木箱の表には「神武天皇」、裏には「明治三十八年清一郎初節句祝」と墨書された古い人形です。丸平製と聞いております。「丸平」というのは京都の有名な老舗大木人形店の屋号で、京都や地方の旧家には「丸平の人形」が多く残されております。清一郎さんというのは当家の当主として明治三十八年四月に生まれた方です。跡取りの誕生できっと喜ばれたことでしょう。お母さんの実家から到来した旨が添え書きされています。昔の人形は今の鎧兜の段飾りのような形ではなく、楠木正成とか八幡太郎義家など具体的な人物像が多かったようです。子どもたちは自分のために飾ってもらった人形を見て、楠木正成のような立派な人になろうと心に誓ったのでしょう。そう思うとただ鎧が飾ってあるだけでは子どもにとって具体的な目標にはならないですね。八幡太郎義家と書かれてあれば、どんな人物であったのか興味が湧きます。史書を読むと武勇に勝れたばかりでなく和歌もたしなむ風雅の武将であったことがわかります。その武将が我が家の床の間におられるとなると、自然に男の子の目標になったことでしょう。
  そういえば今、街角や学校に立っているわけのわからぬ形の記念碑やモニュメントなるものは見ていても何の感動も示唆も受けません。あれがわかるのは数万人に一人の芸術家くらいのものでしょう。まして子供の心に残るものがあるのでしょうか。やはり二宮金次郎さんの像を見て勤勉の精神を学び、高山彦九郎の姿を見て幕末志士の情熱を学ぶのです。  家々のお座敷に堂々と鎮座される大将さんを見て、子どもたちは「男子かくあるべし」と心の奥に深く刻み込んできたのです。こういう無言の教育が端午の節句であったと思います。現在は個性の尊重や、男女平等などの風潮からどんな生き方をしても良い時代です。その自由が、逆にどう生きたら良いのかわからず、若者たちを苦しめているのも皮肉な事実です。まずはお座敷と床の間という無駄な?空間の復活から始めたらいかがでしょう。よそのお家に行くと床の間に箪笥や収納家具が鎮座ましましていることも珍しくありません。あまり物を置かないすっきりした部屋もひとつくらい必要ではないでしょうか。きっと大将さんも出番を待っておられるに違いありません。

  今はどのくらい歌われているか知りませんが、こいのぼりの歌も男子の成長に必要な徳目が込められています。最後にこの歌を味わって日本男児の意気を取り戻したいと思います。







 








































  







姿


































  
  
































 
(2006.5.1)
過去の『歳時記』