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京町家友の会



冬の支度 小島冨佐江(京町家友の会)

 背の高いビルが立ち並ぶ通りを歩いていて、交差点で立ち止まると山が見える。山に囲まれた盆地だから当たり前なのかもしれないけれど、なんだかほっとする景色である。朝夕冷え込んで、ちょっと火が恋しい頃。せわしないなあと思いながらも、この冷え込みが周りの山々や、街路樹を美しく彩らせてくれると思うとがまんのしがいがある。冬枯れの頃には少し間があるが、ほんのりと色づいた落ち葉を眺めながら秋の名残を楽しんでいる。

  四季折々、私たちの周りには様々な色が現れる。ほんのりとした桜色、くっきりとした青空、降るような星空に煌々と輝くお月様。そして、錦秋。派手すぎず、地味すぎず、それぞれに季節を楽しませてくれる。自然が教えてくれる色は優しく、私たちの目はそのような色に囲まれて育ったためか、日本の色と言われている色彩はあまり強すぎず、うっかりすると見過ごしてしまうような色である。身の回りにはそのような色が多くあったはずだったが、最近はいたるところに強い色が氾濫して、うっかりと美しい色を見過ごしてしまうこともあるかもしれない。でも、まわりを見渡せば、四季が廻る中で折々美しい色があらわれる。さくら、新緑、もみじ、冬枯れ、どれも私たちに季節の恵みを与えてくれる色たちである。はっとするほどに美しい色に出会うこともあるかもしれない。何気なく眺めている自然から教わることはまだまだたくさんあるようだ。

 京都のまちは紅葉狩りの人でにぎわっている。木々の色づくのは寒暖の差が大きいほどきれいになるといわれているが、ここ数年は紅葉が遅く、あまり美しい色にであわなくなった。地球温暖化のせいとつい余計なことを考えてしまう。冬の暖かいのはありがたいけど、もみじがきれいにならないのは困るし、季節がいびつになっていくのは大問題だしと、身勝手な理屈を考えながら、美しい紅葉を心待ちにしている。

 朝夕にそろそろ火が恋しくなってくる。私は寒がりで毎年冬支度を家のなかで一番先に始めるのだが、いまも子どもたちに笑われながら、寒さへの支度を着々と進めている。最近は電気やガスが当たり前で、暖房器具といえば、ファンヒーターやエアーコンディショナーが主流である。手近に器具があり、コンセントをさせばすぐに暖かくなるが、我が家は相変わらずの旧式。灯油をいれたり、炭を準備したりと手間がかかる。めんどくさいなあと思いながらも、寒さには勝てないので、あれこれ準備に忙しい。私はあまり暦を忠実に眺めていないのだが、祖母や母は何をするにも暦を見ながら決めていたような気がする。おこた(炬燵、掘り炬燵)を入れる日もそのひとつ、亥(いのしし)の日がいいとされている。茶の湯では炉開きが行われる。亥の日に火を入れると安全で火事にならないといわれ、暦を気にされる方々は縁起をかついで、いまもこの日に冬の支度をはじめられるようだ。なぜ亥なのか調べてみると、陰陽五行説がでてくる。亥は極陰(水性)にあたり火難をのがれるという。言葉だけのおまじないではなく、火に対する恐れ、心構えをひとつでも怠らないようにしたいという気持ちからのこと。この気持ちは私たちも忘れてはいけないだろう。安易に暖の取れる今こそもう一度心したいことでもある。多くの技術が発達し、私たちは暑さ、寒さなど不快なものを取り去ることに努力した。一年中同じ気温で生活することも可能になったが、先達が考えをめぐらせ行ってきたことをもう一度見直し、来る冬に対しての工夫や楽しむすべを見直したい。機械的にすべてが制御できるのかもしれないが、火に対する恐れは常に持ち続け、火が与えてくれた楽しみをもう一度感謝してみるのもいいかもしれない。

 余談ではあるが、炉開きの頃にはイノシシの多産にあやかり、無病息災と子孫繁栄を願い、「亥の子餅」をいただく。栗や胡麻、小豆など多くの実りがお菓子の中に込めてある。
(2006.11.1)
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