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京町家友の会



叔母の愛した庭  続木 泰子(京町家友の会会員)

 その古びた木の門扉は、今どき珍しい閂(かんぬき)を外して使います。開くまでに4プロセスを経ての、手間のかかるこのやり方に慣れるまで、これで4年。ここに長年住んでいた、主人の叔母を見送ってからになります。
 叔母は若い時から肺を病んでいましたので、中京より空気のきれいなこの衣笠の家で療養をしていました。以来60年、こよなく庭を愛して暮らしておりました。

柿 木戸から中に広がる庭は、スギゴケと柿の木という取り合わせの世界です。もう少し、いかにもそれらしい木々ではなく、柿の木。それも富有柿5本、クボ柿1本が、この庭の主です。叔母の姪の嫁ぎ先からいただいた苗木が枝を張りました。10月には、抜けるような青空に実を光らせ、鳥も人も喜ばせ、やがてカサッという音を残して葉を落とし、冬を迎えます。スギゴケの絨毯に重なった柿紅葉は、なんとも複雑な色あいと形をしていて、霜の降りた時などは特に見とれてしまいます。夏には大きな葉を青々と繁らせて日差しを除け、冬には落ちて日差しを通すこの柿の木が、ふかふかのスギゴケの絨毯を育ててきたのでした。
 
リンドウとスギゴケ もう一つは、やはり草引きをしなければなりません。手のかかる田んぼの除草に、合鴨を放つというのがあるそうですが、スギゴケは嫌いで食べないけれど、間に生える草を器用に食べる生き物はいないのか…と真剣に考えることがあります。生前、叔母が、細い小指の先を指して「こんな小さいのもね」「あんがい厄介なのは、カタバミ」と言っていたのを思い出します。ご存じのようにカタバミは、一気に種を飛ばすのと、地下茎とでしぶとく増えますから、油断をすると手強いのです。けれども、上品でか弱く思えるスギゴケが、オレンジ色の胞子を撒いて、繁殖してきたカタバミの葉を毒々しく染めあげ、枯れさせているのを見たことがあります。カタバミがよほど嫌いなのかしらと、スギゴケの静かなる戦意を思ったりしました。
 ほとんどしゃがんでする疲れる地味な仕事ですが、実はこの庭のステキさを知るのは、ここからです。目線が下がって初めて見える世界、それは一面緑で、流れる空気が深山幽谷の中のように清々しく、濃いのです。苔から立ち上る香りを持っていて、地上50cmまでの「苔気流ベルト」に漂っています。その中で、蝉の抜け殻をナウシカに出てくるオームのように見ながら、草引きをします。スミレもミズヒキも増えすぎぬよう、山椒や松の未生は移してやります。抜きたい草なのか、とっておきたいツルリンドウの葉なのか、小さな草をみつめる小さな世界。「それは大変だけれど、私が元気でいられるのもこの庭のおかげ」と、叔母は庭をしみじみ眺めていました。
南天 以前この辺りは茶畑だったそうで、庭にもその名残りのお茶の木があります。クチナシ、ナンテン、センリョウ、マンリョウは一人生えしますし、叔母や、その母が好んでいたロウバイや椿も数本あります。お世話をするようになって思うのは、家庭の庭としての趣ということです。叔母が学んでいた学校の庭は、武蔵野の林野を拓いてできましたが、起伏の多いその地を創立者は「庭としもなき庭に」と育てたと聞いています。衣笠山からの風を受け、多忙な毎日の中でひとときお茶をたのしみ、広縁でくつろいでいたであろう叔母やその母を偲ぶ時、その言葉がいつも思い出されます。
 春はヒトリシズカの花で始まります。ツユクサ、アジサイ、オカトラノオ、クスノキの芽吹きと落葉。紅いユスラウメの実。キキョウの蕾が開くと、もう立秋です。
 数年前この家を改修した時に、下水道の工事もしました。小型シャベルカーを使えば難なく済む作業でしたが、排気ガスで草木を枯らしてはいけないと、炎天下、地下2メートルを20メートルも掘り進んでの大変な工事に切り替えてくださいました。今でも言い尽くせない感謝の思いでいっぱいです。
 子どもと行ったキャンプ先で拾ったドングリが芽吹き、この庭に植えました。大きく伸びて、新しい木陰を作ってくれることを楽しみにしています。
(2007.9.1)
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