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京町家友の会



お彼岸のころ
小島 富佐江(京町家友の会)

 一月はいぬ、二月はにげる、3月はさる。どなたが考えたことか、「じょうずにいわはるなあ」と。本当に瞬く間に、月日は駆け抜けていく。気がつくと庭の梅もつぼみが膨らんでいる。寒さが厳しかった冬ほど、花がいきいきとしているように思えるのは、気のせいだろうか。

 今年の冬は本当に寒かった。じんじんと足元から伝わってくる冷たさに、いつまでこの寒さが続くのやらとうんざりしたほどに、寒さのこたえた冬だったが、ようやく春のけはいが見えだした。

 通り庭の上部にある窓は南向き。幸いなことに背の高い建物が建っていないので、ここから差し込む日差しに、春を見つけることが出来る。町家の環境を調べるための温度測定器をこの通り庭にも設置したことがあるのだが、寒い、寒いと思っているこの通り庭の温度が、昼ごろにぱっと上がるということが毎日の計測でわかった。お日様が差し込むときである。町家の通り庭は南側か東側にあるのが普通とは聞いていたが、なるほどお日様のやさしい光が差し込むことを考えてのことというのを実感した。お日様の光はありがたいもので、冷え切った家の中を少しずつ融かしてくれる。この日差しがもう少しすると、通り庭をこえて、台所まで差し込んでくる。そうすれば春も盛り、しんと静まり返っていた家の中も陽気に誘われ、なんだかにぎやかになる。

 「お水取り、もうじきどすなあ」「お水取りがすまんとあったこうなりまへんなあ」「お水取りが・・・」3月の声を聞くと、きまってそこここでこのような挨拶が交わされる。東大寺二月堂の修二会のことを私たちは「お水取り」と呼んでいる。これがすまないと春は来ないというのがもっぱらのこと。毎年同じ挨拶をしているなあと思いながらも、寒さに少しくたびれた頃に、おまじないのように口からこぼれるのがおかしい。

 暑さ寒さも彼岸までとはよくいったもので、本当にこの頃になると、寒さが薄らぎ、いよいよ春が目の前にくる。昼と夜の長さがほぼ同じになるのが春分と秋分の日。この日の前後一週間がお彼岸、お仏壇、お墓参りと、ご先祖様が身近になる。お町内では、お彼岸のお中日に物故者法要があり、祇園祭の山を納めてある蔵の前に集まり、お勤めをする。祇園祭は神さんごとと思われがちであるが、南観音山は楊柳観音様をお祀りしているため、折に触れ僧侶がお参りをされる。7月のお祭の最中にも僧侶読経があり、驚かれる方もあるが、お町内ではずっとそのようにしてきたため、当たり前のこととして受け止められている。

 寒い頃には足が遠のいていたお墓にも子どもたちとお参りに出かける。街中でも問題になっているようだが、お墓の周りにも最近カラスがふえ、うっかりするとお供えやローソクまでも悪さをする。いろいろな種も運んでくるのか、お墓の周りに雑草がはびこるようになった。ばちあたりなことに、墓石にも「ふん」を落としていくので、お参りにはたわし、歯ブラシが必需品である。バケツにたっぷりと水を汲み、お墓をごしごしと磨くのだが、ご先祖様は、春とはいえ冷たい水を浴びせられて、たわしで磨かれて、どのように思っていらっしゃるのやら。きのどくなことである。

 お墓参りの帰りに、円山公園をぬけるのもいつものことであるが、そろそろ桜のつぼみが膨らむ頃。この間までは、寒さにせかされ急ぎ足になっていたが、柔らかい日差しに、歩みもゆったりとする。あれこれとお花の様子を見ながら、子どもたちと帰ってくるのも春のお彼岸の楽しみである。

 朝早くには鶯が、ちょっとへたな声で鳴くのも聞こえてくる。もう少しお稽古が足らんなあと思いながらも夢うつつ、またうとうと。

 私たちはいろんなことに努力をし、年中を快適に暮らせる術を身につけたが、やはり、身を切られるような寒い冬を暮らした後にめぐってくる春のうれしさは格別。本当に自然はありがたいもの。どのように厳しい冬があってもいつかは春が来るということを常に心に留めておきたい。

(2015.3.1)
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