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京町家友の会



 あとがき

 恋人を連れ去られた善財(スダナ)王子が、いろんな人に尋ねて南へ南へ追いかけていくという、恋物語がインドの古典民話にありますが(筑摩書房『原始仏典』中村元)、おそらくそれらを基に仏教説話が創作され、インドにおいてある大乗仏典の中に編入されました。これが中国に伝わり漢訳されて華厳経(けごんきょう)と呼ばれました。華厳経は法華経(ほけきょう)と同様に仏典の中でも古く、中国華厳経の基となり、禅宗にも多大の影響を与えています。
 善財童子様の説話は、この華厳経の結文(けつぶん)として、〈入法界品(にゅうほっかいぼん)という最後の長い章にまとめられ、難解な教理を、善財童子様を主人公とした物語に仕立て直したものです。ここでは、悩み多い世の中から救われるには、修業をして悟(さと)りを得、菩薩(ぼさつ)になると同時に、人びとの救済をしなければならないと説きます。これが後の禅宗ですと、悩みぬいた上で一切を忘れること(無)によってのみ、一転、悟りの世界に入れると教え、悟りへの道は言葉にできないと教えます。が、逆に華厳経では、悟りの世界を言葉を尽くして歌いあげ、どんなにすれば悟りに至るかを、こと細かに段階を追って説きます。それは仏典の中でも極めて華麗かつ途方もなく広大で、路端の花から宇宙の塵の一つ一つまで仏が満ちみち、かつ全宇宙が巨大な仏そのものであると考え、これを教えるために奈良の大仏もできたのです(東大寺は華厳宗)。本当の悪人はいない。なぜなら、すべての人の心の中には仏が眠っているから。だれもが勤勉に働き、努力することによって何かを教えうる師となれる。そして善財のような子供でも、堅く決意して師を訪ねれば、段階を追って悟りの世界に入り、本来の美しい世界に目覚め、また人びとを救済することによって偉い人(菩薩)になれると説くのです。
 したがって、中国や日本において華厳経が広まった時期には、善財童子様は民衆の人気者であったようで、東海道の〈五十三次(つぎ)〉や武芸の〈指南(しなん〉〉という言葉の語源となり、東大寺の絵巻物やジャワ・ボロブドール遺跡彫刻の主要テーマとなっています。
 観音様は、法華経によれば、法(ダルマ)を求めて修行することを本願とし、同時に衆生(しゅじょう)の許へ赴き、そのすべての悩みを救うことを誓願された、諸願一切成就(じょうじゅ)、現世利益(りやく)の菩薩です。その強い力を誇示するために、本来は同じ観音様であるものが、時として十一面観音、あるいは千手観音(せんじゅかんのん)などとして表わされ、広く民衆の信仰を集めてきました。華厳経の観音様は、この説話の中で五十三ヶ所の善知識(聖者)の一人として出てくるだけですが、その居城の美しさが人びとを魅了し、これを基に補怛洛迦山浄土(ふたらかさんじょうど)の信仰も起こり(新潮文庫『楼蘭』〈補陀落渡海記(ふだらくとかいき)〉井上靖)、あるいは、中国で道教や禅の風潮のもと、水辺にくつろぐ悠然として美しい観音像として好んで画かれ、水月(すいげつ)観音、百衣(びゃくい)観音、そして楊柳(ようりゅう)を手に持つ楊柳観音が信仰されるに至ったものと思われます(本文の観音様の一節の柳云々は筆者が挿入したものです)。『西遊記』(平凡社)の中でも、たびたび楊柳を手に持った観音様が登場して、三蔵法師の一行を救い導くなど、民衆の人気のほどはわかります(余談ながら、善財童子も端役で登場します)。
 本文では、原典にあふれんばかりの華麗なイメージを大切にしつつも、粗筋に則して縮め、また宗教的色彩をなくして現代の子供たちでも理解できる範囲にとどめるよう努めました。また理解を助けるために挿絵を入れましたが、物語が生まれた地域や時代の絵画的資料が乏しく、誤ったイメージを固めたかと心配です。恐縮ながら、絵に捉われず文章を中心に自由にイメージを作っていただけたらと思います。
 参考文献として、隆文館『仏教説話文学全集4』が適確に要約されているのでお薦めします。
 最後に、京都のことばは、いかがでしょう。話しことばは時代や地域、職業、性別、年齢、上下関係などにより微妙に変化します。京ことばでインド説話を語るなど本来無茶なことかもしれません。しかし、少なくとも五百年前から、古き京ことばを話す町衆が、その説話の世界の一場面を祭の出し物にして打興じていたのです。京の文化はそれだけ開かれていたのだと思います。