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京町家再生研究会

丹羽結花(再生研究会幹事)

町家の「再生」とは―シンポジウム「京町家再生とNPO活動」
及び「京町家10年のあゆみ先達に聞く」を終えて

 4月のシンポジウム及び5月例会は、再生研のあゆみを踏まえて、これからNPOとしてどのような活動をすべきなのか、考えさせられる機会でもあった。望月前会長は平成4年設立当時「行政ではできない一般的な個々の町家をなんとかしたい、という気持ちが最初にあった」と語っている。それから10年、改修事例や調査の積み重ねが住み手の価値観を変え、一般の人々にも町家という存在を知らしめることになった。一方、「町家ブーム」が到来し、言葉やイメージばかりが先行している感もある。真の「町家の再生」とは何だろう。
 リムボン氏(立命館大学教授)による基調講演の論点の一つは、京都という都市の「超再生」である。これは、原状回復ではなく、質的な変化を伴った再生を意味する。京都は歴史都市として戦禍や大火など数々の困難を乗り越え、復興してきた。そのたびに、より住みやすく、丈夫な住まいとして町家が考案され、近世中期にはかなり完成された造りに到達したといわれている。都市の変動の中で人々が生き続けるために工夫を重ねた住まいなのである。活力のある都市には人が集まる。商売にも人生にも盛衰があり、そのたびに家を住み替える。そのような動きに応じて、階層差に見合った表屋造りなど様々な町家の型も造られた。
 町家は、幕末の大火後も昭和10年代に至るまで、都市の活動状況に合わせて建てられ続けた。問題は、戦後、法規的に既存不適格となり、消えるべき存在として扱われ続けてきたことである。その後の高度経済成長期やバブル期を乗り越えて、なおまちなかで2万8千軒もの町家が生き延びてきたことの方が不思議である。住み手という視点に立てば、町家が生き延びてきたのではなく、住み続けることにより町家を支えてきた住み手の力が大きかったというべきであろう。5月例会における町家を維持して来られた方々の語りがそのことを如実に示している。再生とは単に建物を使いやすくきれいにすることではなく、もちろん原状復元でもない。住み手の決意と持続的なメンテナンス──建物としても心構えとしても──両方がなければ「再生」はそのとき限りのもので終わってしまう。「なんとかしなければ」という決意をした時点から、住み手自身も変わる。誰もが年齢を重ねる。家族成員も質的にも変化する。世代交代があり、新たに相続が発生することもある。思った通りにことが進むわけではない。同時に周辺の建て替えという物理的な激変にも耐えねばならない。つまり、ある一時の再生がすべての問題を解決するのではない。建物の再生は、家族が家と再び真剣に向き合い、これから住み継いでいく、「再生し続ける」きっかけに過ぎない。
 リム氏のもう一つの論点にNPO法人の役割がある。行政同様パブリックな働きもするが、地域に密着して使命を果たすことができるという利点がある。行政がケアできない住み手の心の支えになること、これこそ再生研にとってもっとも重要な役割であろう。個々の町家の一人一人の住み手とじっくり対話することにより、これから住み手が家と向き合うきっかけを作る。小さなことでも住み手にとっては悩みにもなり、支えにもなる。再生後の町家を温かく見守ることも必要であろう。ことが起これば、ささやかなことでも対応できるフットワークがあれば、一層心強い。
 しかし、住み手の力に頼ることには限界がある。町家の存在が現行法制度には適合しないことが根本的に問題なのである。まず「壊す方がカンタン、維持する方が大変」という構造を変えなければならない。法的な既存不適格をはずし、少なくとも単体としての整備が正々堂々とできるようになればよいのだが、これは一筋縄ではいかない。法制度に関しては、国を動かさなければならないからだ。リム氏は国家的プロジェクトの可能性を提示したが、このような問題には、確かに必要かもしれない。その場合は、後押しという役割が再生研にもある。
 そのためには、まず、今まで住み継がれてきた知恵、わざを見出し、整理すること、今までの「再生事例」を検討すること、さらにその成果を多くの人々に還元することにより、正しい都市居住のあり方を見直すきっかけを作っていかなくてはならない。10年が経ち、ようやく見えてきた問題もあるだろう。より多くの人々が住み継いでいくことができるように、次の世代へ活かす道を住み手に提示すること、それが再生研のこれからの使命ではないだろうか。最も大切なことは、設立当初の原点、即ち、「行政にはできない、住み手や地域に対する細やかな対応」であることを肝に銘じておきたい。
2003.9.1