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京町家再生研究会
大谷孝彦(再生研究会理事長)

シンポジウム「メディアが捉える京都像とその現実」
 9月10日の土曜日、京都市景観・まちづくりセンターの主催するシンポジウム、「メディアが捉える京都像とその現実」が開催された。基調報告では、京都発信のメディア代表として、「京都チャンネル」プロデューサーの田中淳氏と月刊「京都CF」編集長の元橋一裕氏の報告があった。その後、KBS京都の長谷川和子プロデューサーの進行により、「住まい・営みから百年後の京都の景観を描く ─外から見た京都と、内から見た京都─」というタイトルのシンポジウムがあり、基調報告のお二人に京都大学の高田光雄教授、町家住い手で祇園祭山鉾連合会副理事長の吉田孝次郎氏、大島京都市都市計画局長、そして、町家再生に取り組むNPOメンバーとして私が参加させて頂くことになった。生憎か、運良くか、その日が再生研究会の例会日と重なったため、会場にはいつもの恐ろしい研究会のメンバーの顔が見られず、その点は気が楽であった。

 基調講演では一極集中東京発信のマスメディアに対して,京都から発信する地域メディアのパワーのあり方について、田中氏からは、「京都自体を主役にする。一つの行事であれば、その成り立ち、歴史、それに係わる人達、そういったものを、深みを持ってみせるというコンセプトで発信している」という報告があり、また、元橋氏からは、「ものの良し悪しを教える人が現在は不在であり、文化を教えられる情報誌も不在。情報自体がファッション化している」とのメディアとしての反省があり、「知性、教養、文化を醸成する装置が不在なので、そのような情報媒体を目指していきたい」との意思表示があった。ここで進行役の長谷川氏からメディアの功罪が問われるという問題提起。田中氏からは、直接的な画像情報を得るために、深く考えることがないということで、「テレビの害は審美眼の破壊」という発言。元橋氏からは「利権構造の中で京都の観光の流れができているのはメディアの罪でもある」との話があった。
 メディアは、客観情報として「真実を正確に伝える」ということが原則であろうが、そこにはメディア担当者の主観もはいることがある。その主観はことの本質を目指す積極的な主張である場合もあり、また、商売的興味が優先されている場合もある。この部分で、情報の発信の結果が功を生むこともあれば、罪を作ることもある。

 町家に関しては最近の町家ブームに係わる功罪が問われる。町家への関心と評価がようやく高まってきたことは、多くの場面で町家を取り上げて頂いたメディアのおかげでもある。しかし、書店やキオスクにはファッショナブルに町家を取り上げた多くの観光的冊子が並ぶ。町家はくらしと職人の技の歴史を積み重ねてきた、優れた木造建築である。改修されたレストランや、店舗の中にはこのような本来の町家を阻害するようなものも多く見られる。これをおしゃれなキャプションで観光客に売り込むのもメディアの仕業である。その結果だけとは言えないが、今京都の町家は大きく値上がりし、東京などからの外部資本によって高い値段で買い取られ、普通に暮らしを繋いでいきたい人の手の届かぬものとなりつつある。これらは将来、町家・町並みの破壊へと繋がる心配がある。今京都では、町家に係わる色々な行政の施策や市民活動が展開されつつあり、市民の側が歴史文化を大切にしたまちづくりについての共通意識、アイデンティティーを育むべき時期にある。特に地域に根ざすメディアはこのことと同調し、形だけでない、地方の真実を発信すべきである。その結果はメディアの大きな功となる。高田教授からは「町家ブームで見えてきた問題点は、メディアの問題というよりも市民、地域の問題であり、市民力、地域力を高めるために、内向きのメディアがもっと意識されるべきではないか」という発言があった。

 また、真実ということでは、すばらしい京都のイメージを外に対して植えつけるための美しい映像も必要であるが、一方で、現実としての見苦しい京都の真実を写さねばならない。「像とその現実」のギャップがある。それをどのようにするべきかを問わねばならない。

 当日はこのような話が主体となり、副題にある「百年後の京都の景観」の形についての具体的な話にまで行き着かないことになってしまった。町家を基調とした持続性のある景観、というのが、抽象的であるが間違いなく期待される回答である。しかし、歴史的建築という町家もその本質を受け継ぎながらも変化していくものである。吉田孝次郎氏は「京町家にはそこに人の生活があり続けた結果の美しさがある。改良を必然のものにし、京都人はそれを美しく組み上げてきた。これが京都の底力である」と発言された。ある目的を持っての日々の積み重ねの結果が百年後の景観となる。優勝を目指している相撲の力士がインタービューで、決まったように、一番一番、一所懸命取るだけです、というのは、ほんとうに正しい答えであると思っている。こういう時に、百年後は廃墟というような発言も受けるものである。

 京都の変えたいところをメディアでも取り上げ、外からも力を集めていくこと、また、都心部をこうしていきたいというマネジメントは誰が描くのか、市民を繋げる内向けのメディアが必要。外と内の繋がりをつくるメディアを通じて、京都がもっとよくなっていくのではないか、という長谷川氏のまとめでシンポジウムは終幕となった。
2005.11.1