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京町家再生研究会
京町家通信50号特別記念
顧問から寄せられた京町家ネットへの想い


◎歩いて味わう京都の町並み景観
 平成4年、京町家再生研究会が発足した。平成6年、高さ60メートルの京都ホテルが建った。平成9年、高さ59.8メートルのJR京都駅ビルが建った。いま、JR京都駅頭に立って見ると京都には美しい千年の古都といわれた面影は全くない。日本人の故郷であると期待して来京した観光客の第一印象は失望そのものであろう。
 それでも、京都の景観対策の実施は全国にさきがけて早く、既に昭和45年(1970)の京都市風致審議会からの「京都市市街地景観対策に関する答申書」から始まった。昭和47年、美観地区指定に始まり、昭和51年以降、伝統的建造物群保存地区が清水産寧坂地区、祇園新橋地区、嵯峨鳥居本地区、及び上賀茂社家町地区に指定され、さらに、昭和60年には三条通(寺町〜新町通)が、三条通歴史的界隈景観地区に指定をうけた。
 これらの市街地景観整備事業化は全国の歴史都市に波及し「伝建ブーム」を起こした功績は大きいが、特定の地区に限定されているので、線としての町並みを特徴付けていても、一歩線を離れると平凡な現代風の町並みに変わってしまう。
 市民主導の京町家再生研究会のような組織では、線どころか、点で終っている。このままでは、3万とも4万ともいわれる都心町家の再生のメドは付きようがない。
 そこで、一提案を試みる。それは線と線、線と点を結んで特定の町並み景観通りをつくり、その通り筋の町家再生を優先することである。京都の昔の町並みを鑑賞したい人々には、この「歴史的町家通り」だけを歩いて見ていただくようにすることである。
 例えば、清水寺─清水産寧坂地区─祇園新橋地区─鴨川─先斗町─高瀬川─三条通界隈景観整備地区─その他新しい町並み景観整備通りを経て、京都御所または二条城へ、である。幾筋もの歩いて味わう町並み景観通りに限定すれば、財源確保も可能となろう。多くの人々が京都の歴史的町並みだけを歩ける町にしたいと願っている。

望月秀祐(モチケン・コーポレーション)


◎現代生活に合った再生タイプの創出を
 かつてあった京町家での生活のありかたが急激に変化してしまった今、本来的な町家の再生は難しい情況にあるといわざるを得ない。このことを底辺として現状を観なければ、将来的な展望は開けないと私は思っている。町家を一部改造し、食堂、レストランや展示場に転用すること。これは、京都に根づいていた生活文化の健やかな姿を理解する一つの方法だといえるであろう。
 京の生活文化を継承しながら創り上げた京町家の再生のタイプは昭和10年頃にできている。弁柄格子や虫籠窓をやめて、表構えは花崗岩を腰に、真鍮のパイプを立ててガラス窓を利用した再生タイプはもっと大きく評価されねばならない。同時に、職住分離の大店が構えた高塀造の住宅も重要な存在である。
 住居棟の機能を広大な敷地に配したこの家には、洋間や茶室をもうけ、伝統の遊び心に新しさを加えて楽しい。これらは明治、大正、昭和と京都人が住まい、商った実態が継承されている。
 京都は古都ではなく、再生を繰り返しその度に、伝統の形に新しさを加えてきたのである。昭和10年末、更なる再生タイプは創られてはいない。
 現代の生活や商いに応じた新しい町衆は、どんなものかをみんなで考えよう。
 明治維新後に焼け跡から立ち上がった町家、日清・日露戦争後にできた町家、大正ロマンを実現させた職住分離高塀造、ガラス窓を多用した職住一致の再生町家、これらは皆々現在の田の字地区では景観上重要な存在であり、京に根づいている普通の生活を基礎にして、新しい生活感をも受け入れているのである。
 地球温暖化がいわれて久しいが、自然の変化に順応しながらの生活、夏は蒸し暑く、冬は限りなく冷たい京都。暑さ寒さに耐えながら、来る秋や春を待つ自然と共生する生活を元として、必要最小限の生活利器を取り入れる、更なる再生タイプを考えねばならない。
 自動車、冷暖房機、最新の厨房具、コンクリート素材、椅子・テーブル・ベッド。
 この5つを組み込んだ町家を創り出すことである。

吉田孝次郎(京都生活工芸館・無名舎)


◎最近の町家再生について考えること
 プラスの面では、保全再生をささえる知恵が発達しつつあります。
【1】 伝統的木造構法の見直しが行われ、耐震・防火における在来の否定的イメージを反転させる可能性が見えてきました。
【2】 町家をライブに活用する実験・デザイン工夫が多様に追求されるようになりました。
【3】 継承する資産ストックとして、流通や管理システムの研究や実践が始まっています。
【4】 町家をめぐる行事や暮らしの体験、ガイドツアーなども行われ、遺伝子的理解(山本良介氏の著書より)がひろまっています。
 
心配な面では、保全再生の方向はこれでいこう!というアクション目標が未確立なことです。
【5】 町家ブームになり、まがいものや一見それ風のデザインや再転用しようにも復元不能な改修が目立ちます。
【6】 ファンド系など不動産投資が流れ込む中で、あっというまに消滅する状況が止まりません。
【7】 耐震診断・補強をどう普及させるか見通しが立っていません。京町家保全再生のしっかりした中期的構想、その政策化、実践化がいまほど必要なタイミングはありません。

 王城の地で繁栄した商工民の暮らし・営業の場として京町家・町並みは洗練され熟成された都市文化を体現していますが、時代のニーズによって絶えず変化する性質をもっています。しかし過去の時代とは違って、現代の私たちは、すぐれた伝統を継承するための保全再生というマインド、理論、技術、制度の発展に意識的に取り組んでいます。京町家の伝統を現代に生かし、未来に伝える運動の先駆者リーダーとして、このことを自覚して、いよいよ信頼される活動組織を目指しましょう。

【1】 市民と居住者・オーナー、多様化しつつある他のNPOやグループ、事業者と連携を強めつつ、
【2】 かつて京町家の造りが多くの他都市での住居モデルになったことを忘れず、全国交流ネットも支えましょう。
【3】 次世代への伝承と人材育成を重点項目にしましょう。元気が湧いてくる「アクションプログラム」。


三村浩史(関西福祉大学教授、京大名誉教授、
京都市景観・まちづくりセンター理事(京町家まちづくりファンド担当))


◎京町家ネットの有機的連携を目指して

京都市内にて
 京町家を取り巻く状況は随分にぎやかになってきました。町家レストランなど多くの町家活用事業の展開、京都市や活動団体による色々な施策、活動の活発化です。あちこちで毎日のように、町家という活字、映像が飛び交います。町家が注目されることは大切ですが、このような時期に重要なことは町家再生の本質的な意味を再確認し、それを皆で共有しながら先に進むことです。正月早々理屈っぽい話は嫌われますが、前向きにどんどん実践して行くことと合わせて、そこにはやはり理屈も必要かと思われます。逆に、最近は随分理屈が少なくなったようにも思われます。広く、数多く存在する京都の町家再生、また、それに基づくまちづくりを目指すためには、多くの人のネットワークで、その多様な課題に対応して行く必要があります。その上で、町家は歴史文化が積層した都市資産であり、それ故に町家が持っている真実性を大切にしながら、しかし、現代や将来に向けての新たな感性や技術をも取り入れながら町家再生は持続的創造性を持って展開されるべきです。
 京町家ネットは今後も有機的な相互連携のシステムで活動を展開していきます。個々の会の常時的活動の他、「楽町楽家」「設計施工交流会」「町家が守れ、育てられるようにする市民会合」」などにおいては広く市民や京都の他の活動組織との交流も図られています。また、昨年に引き続き今年の秋には「全国町家再生交流会」を京都で開催し、全国への呼びかけを行う予定です。継続してきたニュースレター、ホームページ、あるいは、適時開催するシンポジウムなどによる情報発信により、広く市民による京町家再生の土壌作りのアイデンティティーの共有を目指します。昨年度は町家の不動産証券化の事例が成立しましたが、そこにはいくつかの課題を残しており、今後町家再生資金に係わる取り組みが緊急事項です。また、個々の町家への対応と共に、明倫学区などの具体的な地域を対象とした活動展開も必要かと思われます。多元的で、複合的な課題に向けての活動であり、実践的な取り組みと共に地道な調査、研究も大切にしていきます。我々の活動はネットの有機的連携という全国的にも先進的な仕組みであり、先導的な役割を意識し、理屈も大切にし、この仕組みを最大限に活かしながら活動に取り組んで行きたいと思います。

大谷孝彦(再生研究会理事長)
2007.1.1