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京町家再生研究会
松井 薫(再生研究会幹事)

楽町楽家―町家の新たな魅力を発見するために
 第1回全国町家再生交流会のプレイベントとして始まった「楽町楽家」も今年で3回目を迎え、今年は5月19日(土)から6月17日(日)の30日間、町家を会場にさまざまな催しが繰り広げられる。どうしてもイベントの内容に関心が行きがちだが、そのネライは、住まいとしての町家のよさをさまざまな催しを通して、五感で感じ取ってもらおうというところにある。さらに言えば町家空間がさまざまな催しの会場となりうる、それも大層なことをしなくても、ちょっとしつらいをするだけで、本当に多様な表情を見せるものだということも感じてもらいたい、と思っている。

 少し前までの生活では、家の中で冠婚葬祭が行われていた。一度に多くの人が集まり、会食をすることが可能であった。続きの間のふすまがはずされ、障子が放たれて大きな一つの空間にすることができた。それぞれの家でそれぞれの行事を廻りの人の助けを受けながら段取りし、こなしていっていた。それは確かに大変だったのだけれど、そうして「こと」をするのに準備や段取りが必要なことを皆が知っていた。それが現在では、家の中にあった「こと」がどんどん外へ出て行ってしまっている。結婚式は教会の雰囲気のある会場で、出産は産婦人科医院で、誕生日のお祝いや、季節ごとの行事は今やレジャーの一環となってしまっている。人が最後を迎えるのも病院だし、葬式も専用会場でとりおこなわれるといった具合である。人々は「こと」の片をお金でつけるようになってから、「こと」の後ろにある準備や段取りを忘れていった。と同時に用意する人の気持ちや思い入れにまで思いが及ばなくなった。

 「こと」がどんどん外へ出て行ったのと入れ替わりに、外にあった「もの」がどんどん家の中に入ってきている。街頭にあったテレビが、家の中に入り、それぞれの個室にも入り、今や手のひらの中にも入ってきている。業務用でしかなかった冷蔵庫が、洗濯機が、エアコンが家の中に入ってきた。その結果、家の中は物であふれ、それでも物を買い続けるしか今の社会を継続していく方法がなく、いかに収納し、いかに捨てるかが生活技術の必須項目となっている。そういった生活の変化を無批判に受け入れる入れ物として、現代の家がある。また人と人とのコミュニケーションでも大きな変化がある。町内から銭湯がなくなり、小売店がスーパーマーケットに取って代わられ、パソコンなどの情報端末が、個人レベルで行き渡った結果、人は他人と話すこととテレビやパソコンの画面をじっと見つめることを取り替えてしまった。家の中の会話でさえ、メールでのやりとりで済ませることがあると聞く。

 町家は生活の場である。現代に作られる住宅のように物置ではない。まぎれもなく生活がある。自然と共にある生活がある。しかも当然ながら生活全般にかかわるさまざまなことに対応する機能を備えている。人を迎え入れる場がある。人と人のつながりがある。何もない空間なのではなく、ミセの間に、座敷に、土間に、われわれ現代人が想像もつかないような多くの機能に対応できる可能性に満ち満ちている。それの一端を見ていただくのが「楽町楽家」である。

 例えば音楽会場として、バロック音楽にも現代音楽にも違和感なく対応できるし、琴や琵琶の演奏にも、タンゴやインド音楽や、はてはモンゴル、アラブの音楽まで、何の苦もなく受け入れてしまう。確かに観客は数十人に過ぎないが、普通に住んでいる家でこんなことができるのは、まさに町家だからこそである。町家はさらに新しい顔を見せる。落語の寄席として、一人芝居の舞台として、マリ茶やエチオピアコーヒーセレモニーといった異国の生活文化の再現の場として。もちろん、日本のお茶会や聞香といった以前からある使い方もできる。さらには、ギャラリーとして使ったり、町家空間そのものを現代アートの表現の場とすることもできる。いろいろな生活の場面に対応し、生活に伴う行事に対応し、さらに生活を超えた表現の場としても十分に機能する。その都度町家はちがった表情を見せ、改めて格子のシルエットの美しさや、中庭の光の美しさ、土壁と木の落ち着きなどを感じさせてくれる。誰よりも町家の表情の変化に驚くのは、会場を提供していただいている方々であろう。いつも自分たちが住んでいる家が、ひとたび楽町楽家の会場になると、人々が集まり、イベントが行われる中で、全く違った魅力を見せているのに出会うことになる。これは、楽しい。家自体も楽しんでいるようだ。楽しい家、町家である。

 今年も「楽町楽家」を通して、その魅力に出会う人が少しでも多くなるように、その中で町家の良さを五感で感じてもらえるように、願っている。

2007.5.1